CoC文脈の小説。4章。
毎年この時期になるとメーデーの話題が流れてくる。日本には馴染みの薄い行事だけど、長い冬が明け、眩しい夏がやって来るのを祝うお祭の楽しげな光景は見ているだけで心浮き立つ。華やかなメイ・クイーンと緑に繁ったメイ・キング。街を行き交う人々の手に…
"Blood and Sand, Our Beloved Blue Paths!" のタイトルで、遠征中のエピソードを拾ったものを中心とした短篇を集めた連作が出来たら面白いかな…と思って書いていた中の一篇。4/25~27のエピソードから書いたものがあったので公開。サンディの4/25の日記と4/…
一ヶ月ぶりの二連休、何も予定を入れずのんびり過ごしました。 一日目は、繁忙期の晩秋~冬や元気の無かった時期に家事をほったらかしにして散らかしまくったお部屋の片づけなど…。元々片付けがすごく苦手で散らかしてばかりだけど、それにしたって酷かった…
CoC文脈の小説。3章。
今日は自分の日記とか雑感とか。 4/11、名古屋コミティアへ遊びに行ってきました。 以前から興味はあったのですが、初コミティアでした。 元々サブカルのオタクだったので、イベントや同人誌といえば版権モノ、夏コミ・冬コミ級とまではいわずとも長い列に並…
CoC文脈の小説。2章。
マロリーとサンディのことに触れ始めてから3度目の4月8日を迎えた。 実際に擦れ違ったこともない人の誕生日を意識するということについて、少なくとも自分の中では後ろめたさに近い感覚がずっとある。実在人物、それも時代の結構近い人のことに触れるなら丁…
CoC文脈の小説。プロローグと1章。
長くなるのでコンテンツは続きから。 遠征当時の映像は、撮影班のジョン・ノエルによって記録映画The Epic of Everestとして作品化され、DVD・ブルーレイで見られる。が、ここには収録されていないカットも多くある。イギリスの歴史映像などをアーカイブして…
遠征の外側にあるサンディ像や、オックスフォード大学のアーカイブについて少し。 ジョージ・マロリー、もしくは「そこに山があるから」の台詞は聞いたことがあっても、アンドルー・アーヴィンを知っている人はどれくらいいるのかな……と改めて考えると、少し…
エヴェレストの創作幽霊譚バックアップ。 死体がずうっとついてきたら怖いだろうな~でも可愛げのある幽霊と登るのは単独行の魅力とペアの魅力をちょっとずつ混ぜた塩梅になりそうでいいな……というような考えからの話。 個を確立したままの幽霊も好きだし、…
1933年、フランク・スマイスが経験した奇怪な出来事に題材を取った短篇のバックアップ。 クトゥルフ神話絡みのストーリーの背景でもあるけど、足のある幽霊程度に流せばいい話。縦書き明朝体とはだいぶ間が変わるので困ってしまったけど残しておこう。 【pha…
エヴェレストは幽霊譚やゾンビものの舞台として素晴らしい場所ではないかな~とか、サンディとマロリーをNPCとしたクトゥルフ神話系フィクションの雑記。 人体は高い場所へ登ると様々な不調を起こすが、ゆっくり登ったり、高いところへ登って低いところで眠…
エヴェレストの幽霊・怪奇系エピソードまとめ。随時追記。
1924年の英エヴェレスト遠征隊に関する調べもののある程度まとまった記録、そこに素材を取ったフィクションのバックアップ、読書記録、あともしかすると日記代わりのツールとして開設。 調べ物はぱらぱら呟いているけど、多分このままだとアウトプットしたフ…
1924年遠征のその後。 範囲が広いので随時追記。 1924年 ざっくり16日以降の隊について 6月19日 6月20日 6月21日 6月23日 6月24日 6月26日 6月末~ 10月17日 12月8日 1925年 1926年 1933年 1935年 1936年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 1944年 1950年 …
遠征隊はロンブクを離れる。ノートンいわく「みじめな一行」であった。 夜はザカル・チュ沿いの高台に野営した。この晩は満月で、月光に照らされたロンブク谷とエヴェレストの壮観な様を見渡せる場所だった。 隊員のひとりがこの夜にテントから外を見ながら…
ベースキャンプにて、余った食料や物資をすべて燃やす。 夕方には隊員とポーターが全員、サマヴェルとビーサムの作った記念のケルンの周りに集まった。高さ90cmの正方形の台座の上に小岩を積み重ねて出来たもので、人の背丈よりも高く、20年代の遠征が生んだ…
詳細不明、今後要資料集め。 ノートンの日記は6/12~14の記述がまとめられており、非常に忙しかったことが窺える。キャンプ全体が撤収作業に追われ慌ただしかったことだろう。 現段階で思いつく資料はヒングストンの日記なのだが、恐らく活字化されていない…
朝、ノートンはオデルにマロリーとサンディの遺品を整理するよう頼んだ。イギリスの家族に返すものを選び、残りはベースキャンプで燃やすのだ。 この時オデルが持ち帰ることにした品の詳細はまだ分からないが、サンディについては少なくとも1921年付の住所録…
オデル、ハザード、ヒングストンらがベースキャンプへ戻る。 ベースキャンプではヒングストンによる健康診断が行われた。全員山での戦いを再開できるような状態ではなく、キャンプⅣより上へ登った者は全員心臓が肥大していた。ジェフリーがあれ以上マロリー…
キャンプⅢ・Ⅳからの撤退。 【午前】 キャンプⅣのオデルとハザード、シェルパのニマとミンマは、テントや装備を全て残したままキャンプⅣを去る。彼らが持って下りたのは、行方不明になったマロリーとサンディの所持品だけだった。 陽向の気温は31℃もあり、雲…
マロリーとサンディの捜索、そして打ち切りと撤退。 【朝】 キャンプⅤで厳しい夜を明かし朝を迎えると、ポーターたちはそれ以上登れる状態ではなかった。そこでオデルは彼らをキャンプⅣへ下らせ、自分はキャンプⅥまで行くが暗くなるまでにノースコルへ戻ると…
マロリーとサンディがキャンプに戻っている気配がない。 帰らぬ二人の捜索のため、オデルがキャンプⅤへ登る。 【朝】 キャンプⅣのオデルとハザードは夜明けと共に起床し、サンディの双眼鏡で頂上付近を探した。しかし未だにマロリーとサンディの姿が見えない…
マロリー・サンディペア、ファイナルアタックの日。 最初に強調しておくと、この日マロリーとサンディに何が起こったのかを確かに知っているのは当事者である二人だけだ。だからこの二人の動向について書いていることは全て推測・推論で、「だろう」「思われ…
ここからはもうマロリーとサンディについては日記も写真も残っておらず、彼らの動きについてはマロリーの短い手紙や状況からの推測が中心となる。 1924年6月7日も好天だった。モンスーン前に訪れることの多い10日間の晴天、その最中にあったのである。隊員た…
マロリー・サンディペアがキャンプⅤへ出立した日。彼らは8人のポーターを伴って、ノース・コルの更に先へと進んでいった。 この日の朝、オデルとハザードは2人のために、炒めたイワシの缶詰・ビスケット・チョコレート・お茶の朝食を用意した。 マロリーとサ…