CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

The Revival: 00

 遠征の外側にあるサンディ像や、オックスフォード大学のアーカイブについて少し。

 

 ジョージ・マロリー、もしくは「そこに山があるから」の台詞は聞いたことがあっても、アンドルー・アーヴィンを知っている人はどれくらいいるのかな……と改めて考えると、少し不思議な気持ちになる。ここ2年と少し、サンディは自分がプライベートで使える時間や思考の主人公みたいな人だったから、冷静に俯瞰して見た時のギャップに戸惑って、それが正しい理解なのか分からなくなるのだと思う。

 彼を知っている人は登山好き、もしくは山岳小説好きかな。あるいは昨年のナショナルジオグラフィック7月号で、2019年に行われた彼の遺体捜索遠征の報告特集が組まれたのでそこで御覧になったか。かくいう自分も2018年秋まで「そこに山があるから」の一言しか知らなかったくらいで、極高所がどんな世界なのかも、どのように登るものなのかもさっぱり知らなかったし、正直に言うとマロリーの名前さえ覚えていませんでした。

 

 サンディについて語られることの殆どは遠征中の姿、もっと言えば他の先輩隊員たちからの評に拠っていると思う。

 その言葉を集めてみれば、サンディ・アーヴィンという人は、

 真面目、温厚、円満な性格、いつでも意気揚々としている、大抵は楽しそうにしている、優れた容貌に明るい笑顔、驚くほど機知に富む、献身的、頭が切れる、神経質ではない、綺麗好き、几帳面、親切、競争心が強い、非常に器用、力が強い、動じない、"お喋り以外の全てにおいて頼りになる"、遠征隊のアイドルでポーターからも人気があった、(凡そ十五歳以上年上の人間に囲まれた集団で)控えめな物言い、弁えている、若さゆえに辛さが人一倍堪える様子、内心の落胆も全く表に出さなかった……

 ……とまあ何とも素晴らしい人物。付け加えるならボートが大好きで、オックスフォードの代表選手として漕いでいたという華々しいエピソードも高確率で添えられる。逆に取っつきにくいくらいの好人物像かもしれない。

 WWⅠにおける軍OBの人脈が大きく物を言っていた1920年代の遠征は、隊員の年齢層の高さが課題となっていた。ドイツが暴れなければもう数年若い身体で登れたのにという愚痴もご尤も、登攀をこなす隊員の多くは30代半ばから後半だった。今でこそ30〜40代やもっと年嵩でエヴェレスト登頂を果たす人も沢山いるけど、当時はあの山がまだ未踏峰で、本当に人間があの高さまで登れるかも定かではなく、登攀可能だと保証されたルートもなければ、道具も重く使いづらいものが多かったことを忘れてはいけない。

 そんな中で白羽の矢を立てられた当時21歳のサンディは、遠征隊が求める「超人」であり、初期隊長ブルース将軍の言葉を借りるなら「我々の実験」だった。サンディが自身に寄せられているこういった期待をどう捉えていたかは考える必要があると思うけど、何にせよすぐに彼の力は認められ、実験という見方は取り消されることになったのだから立派な話だ。

 

 けれどこういったサンディの人物像について、伝記作家のジュリー・サマーズは「お人好しすぎて精神的な欠落を疑う」と形容している。

 実際にサンディのことを調べていて分かった、と感じるのは、サンディについてのこういった像は非常に偏ったものだということ。マロリーも死後に政治的な事情も絡んで神話化が進んだ人物といわれるけど、サンディだって大概だ。どれも嘘ではないけど、一面的すぎると思う。

 どれも嘘ではないから付け足すことにするのがいいと思う。サンディ・アーヴィンは、

 ひどく人見知り、恥ずかしがり、非常にこだわりが強い、気分屋なところがある、短気を起こすことがある、せっかちなところがある、少々軽率、片付けができない(几帳面というのは恐らく機械仕事に関する話)、読み書きが苦手(ディスレクシアを抱えていたらしい)、興味の無いことには徹底的に無関心、冒険を求めるあまりかなり危なっかしいこともする、挑発して面白がったり世間に逆らいたがったりする節がある……

 といった、短所に近い(?)要素も持ち合わせている。

 これは悪口を言いたいのではなくて、遠征の外側まで触れて初めて分かる人なのだとか、ちゃんと人間らしい人でよかったという安堵に近いものとか……うーん、こう並べると理解できないものを拒む思考から由来しているのかもしれないけど、あんまりにも聖人みたいな話ばかり聞くので、作られた像だろうと疑わしい気持ちになっていたのは事実。

 こういう欠点に近い要素も含めてきちんと拾うのは大事だと思う。先に挙げた要素を知ってこそ、会話が下手と取られたのは人見知りと関心の偏りによるものだろうという推測が出来るようになるし(何しろあの評は出会ったばかりの頃のマロリーによるもので、彼の文学や哲学談義に対して、その方面には無関心かつ人見知りなサンディに満足な受け答えをしろのは酷な話)、最終キャンプのテントがひどく散らかっていたのはトラブルによる慌ただしさが原因とは限らず片付けの出来ない二人組が泊まったからというだけかもという想像も出来るようになるし、心身共に相当きつかった中で毎日日記を書いていた真面目さとか、不機嫌を抑えて機嫌良さそうに振舞い続けた立派さだとか、そういうものも分かるようになるから。


 付け加えると、サンディは非常にリーダーシップがあるし、面倒見もいい。最初は口数が少なくて会食を苦痛そうにしていても、人見知りさえ乗り越えれば面白い話を上手に語るので人気者だったし、母校で講演をするよう招かれた時は物凄くナーバスになっていたけれど、結果として彼の特別講義は大変な好評を得た。友人からも「驚くほど機知に富んでいて、サンディと話していて退屈したことはない」とまで言われているし、議論できる分野は偏っているとしてもお喋りは上手い。とにかく人見知りが酷いのだ。

 こういう部分は、エヴェレスト遠征という"歳上のベテランに囲まれた素人の最年少"という立場では発揮されづらい・目立たない部分もあるだろうが、彼のとても魅力的な点だと思う。

 

  とにかくサンディ・アーヴィンという人は、遠征の外側まで拾うことによって初めて本人に近いものを掴めるようになるのではないかと思うのだ。決して大人たちに振り回されて死んだ悲劇の男の子というだけではないと思う。彼は彼の意志で登っているし、実際どう作用したかはともかく彼なりの打算だって働かせていた。

 

 といっても実際サンディ・アーヴィンについて語られるのはエヴェレスト遠征のことばかりで、重要人物ではあっても……今だったら、マロリーが持っていなかった「登頂の証拠を収めているかもしれないカメラ」がサンディの遺体のポケットに入っているんじゃないか、という意味で注目を浴びたり、重視されたりしていることが多いという認識で凡そ合っていると思う。

 サンディ本人に親しみを感じ思い入れを持ってしまっているので、こういう状況を露骨に突きつけられると未だにぎょっとして少し悲しくなったりもするけど、まあ仕方ないと思っている。気になるもんね、初登頂の可能性という魅力的な謎。

  遠征の外側について日本語で探るのは現状だとほぼ無理だと思う。ただ幸運なことにサンディはイギリス人で、英語の資料はいくらかある。これがアラビア語とかだったらきっと泣いていたけど英語ならまだ何とかなる。しかも身内が著した伝記には幼少期からの素敵なエピソードも沢山載っていて、たった百年前ばかり前の人物な上にボートで華々しい活躍をしていたので写真や映像(ボートレースの新聞記事・記録映像を含む)も残っているし、その上オックスフォード大学に在籍していたおかげでマートンカレッジには彼のアーカイブがあり、遠征以外のものも含めた写真資料や手紙、小物なども保存されているのだ。

 

 1924年の遠征に関する資料の権利所属先はいくつかあるけど、写真資料の権利の多くは王立地理学会(RGS / Royal Geographical Society)、もしくは遠征隊に巨額の資金を提供する代わりに遠征中に撮影された写真・映像の権利を手に入れる契約をした撮影技師のジョン・ノエルの娘サンドラ・ノエルが所持している状況と思われる。

 サンディについて調べていく場合、これに加えてサンディ・アーヴィン・トラスト(以下SIT)という団体が重要になる。これは詳細が分からないけど親族によるもの。資料をあたりたい場合の窓口はどこかというと、多分例のマートンカレッジのアーカイブだ。サンディの父の死後、彼が保管していたサンディの遺品を兄ヒューが見つけ、それが最終的にマートンカレッジの図書館に寄贈されたという経緯らしい。

 長らくSITの存在は分かるのに資料について問い合わせられる窓口が分からず困っていたのだが、伝記についての感想メールをジュリー・サマーズに送った際、マートンアーカイブがあって、そこにはサンディの幼少期の写真なども沢山あると教えていただいた。このサンディ・アーヴィン・アーカイブ(以下SIA)の存在はもっと前から知っていたけれど、何故かレファレンスに関するメールフォームがあるのに気づけず暫くアクションを起こせずにいたのだった。アポさえ取れば実際に資料を閲覧できるのだが現状無理な話である。

 レファレンスをお願いしたのが2月下旬、その時にはSIAで保管されている資料(写真や伝記で見ることのできる最終頁以外の日記)をメールか郵送で送っていただきたい、でもアーカイブがどんな資料をどれほど持っているのか知らないので失礼なお願いや無理を言っていたらごめんなさい……といった内容が主で、あとは著作権について了承している旨、閲覧を希望する理由などを添えていた。

  頂いた返信では、SIAで保管している資料は沢山あり、全てがデジタル化されているわけでもないため全てをメールで送るのは不可能だということを教えていただいた。その返信にはアーカイブの目録、そして閲覧希望の理由から関心のありそうなカテゴリの詳細目録が添付されていた。請求に応えられるかはその資料がデジタル化されているかどうかや、コロナの影響を受けている中での職員の出勤状況によるとのことで、目録を読み請求資料を絞るという、嬉しく厳しい作業に一週間ばかりかかった。

 

 本当に嬉しかった! すぐに見ることは出来ないとしても、サンディについてあんなにも沢山の資料が残されているのだと分かって、それだけでもすごくすごく嬉しかった。彼を愛していた人々が沢山のものを残し守っていたこと、それがきちんとした場所で今でも大切にされていること……。これはカメラへの注目から彼の遺体が探されているように見えることへの感傷と真逆に位置する喜びなのかもしれない。大学図書館で資料が保管される背景には確かに遠征の存在があるけど、でもそこに保存されているものの目録からは、たしかにサンディ・アーヴィンという青年への愛情が感じられたのだ。

 アーカイブの資料は内容ごとに20以上のボックス(これが本当に箱の形をしているかは分からない)に分類されていて、目録は2004年にジュリー・サマーズによって作成されている。内容は多岐に渡り、遠征の写真、酸素装置のメモ、家族や友人たちとの写真、手紙、ボートレースのメダルといったものから、学費の請求書、財布、名刺、弔電、実家の見取り図、遠征前の遺言と遺書、授業のノート、死後彼にちなんで名づけられたアーヴィン山に関する記事の切り抜き……などなど、本当に様々なものが保存されている。

 サンディの遠征は船出をスタートとして考えた場合、1924年2月29日から6月8日ないし9日までの3ヶ月強の出来事だ。22年2ヶ月という生涯は短いものだろうけど、それでも3ヶ月という期間は、少なくとも時間の割合だけで見たらそう長くはない。遠征以外の時間の方がずっと長くて、そこには勿論様々な出来事があり、沢山の人々と関わっていた。遠征に関する資料ではごっそり削ぎ落されるその時間が、このアーカイブにはしっかり息づいているのだろう。サンディのプライベートやボート関係の写真は伝記等で何枚か見られるけど、その笑顔を見た後だとインドへ向かう船上で他隊員と撮影された写真の笑顔は、緊張や人見知りの色が感じられるように思う。

 詳細目録を送っていただいたのは、遠征に関する写真とSITが著作権を有する写真を収めたボックスだった。遠征に関する写真は目録の説明を読んで心当たりのあるものが多かったけれど、遠征以外の写真が……何だろう 生きている、という衝撃で心臓を掴まれるような 目録の項目を辿りながら、どきどきするような、涙が出るような、どうしようもない感情が押し寄せてやまなかった。

 

「ガチョウの群れを追う3人の子供たち。」

「男性2人(左はサンディ)。ブレザー、短パン、長靴下、帽子を着用。腕を組んでいる。階段の上に立っている。ぼやけている。」

「サンディはどこかの沼地の中で「ランカシャー」と書かれた看板にもたれかかって立っている。目は閉じている(瞬きしてしまったのだろうか?)」

 「大きな家の前でアイスクリームバイクに興奮している2人の子供たち。」

「スポーツブレザー姿のサンディが両腕に少女と2人の男性を抱えている。」

「橋の前の4人の男性とズボン。2人の腕が絡んでいる。左から2番目が頭にスカーフを巻いたサンディ(?)」

「バイクに乗った少年。」

「サンディは砂浜か砂漠に座り、バンダナをつけて何かを持っている。写真には誰かの足が写っている。」

「a) 父親? 田舎の大きな岩の傍に女性と少年がいる。

 b) サンディ? 若者によって断崖絶壁へ劇的に引き上げられている。

 c) 更にロッククライミング

 d) 田舎道を走る少年の遠目の写真。」

「サンディはテントの間に座り、洗濯物や水筒などを干している。」

「グループ。庭の椅子に座っている3人の男性。中央の男性がサンディ(右)にお茶を注いでいる。」

「5人のグループ(男性3人、女性2人)。サンディはカメラを見て振り向く。」

「5人のグループ(男性3人、女性2人)。女性は白いドレス、男性はスポーツ用のブレザーを着ている。右端にサンディがいて、何かのおもちゃを持っている。」

「笑う男(サンディ? ぼやけている)」

「庭の椅子に座ってお茶を飲んでいる7人の男性たち。左端にサンディがおり、長めの靴下と半ズボン〔原文:breeches…乗馬・軍用などの膝丈ズボン〕を履いている。」

 

 こういったものが沢山、ほんとうに沢山……何百と並んでいるのだ。遠征の外側にある、という確信はあっても、輪郭を取れずにぼんやりとしていた世界が突然像を結び、想像していたよりずっとずっと鮮やかに広がったようだった。

 どれも見たことがない写真のはずだから、実際どういう雰囲気なのかは今のところ想像するしかないし、きっと実際に見たら、今の見え方を振り返ってまだぼやけていたと感じるのだと思う。でも家族や友人に囲まれて楽しく過ごす瞬間、何気ない幸せな時間を切り取った光景が、きっと沢山残されている。その事実だけでもたまらなく幸せだった。

 

 実際に会ったこともない、同じ時代に息をしたことさえない人のことを追いかけて、「創作のための資料集め」を超える範疇に踏み込んでいると感じる時には何をしているんだろうと思うことも多くて、せめて誠実であることは忘れずにいようと思っていたけれど。でも最近「会う」ということについて新しい視点に気づかせていただいて、もっと真剣に、真面目に考えようとしている。

 死者はどんな誤解を受けても否定を口にしないから、残された欠片を拾い集め、繋ぎ合わせ、元の姿になるべく近く純粋な形で生き返らせようとするようなアプローチは、本当に誠実に行わなければならないと思う。ひとつひとつに丁寧に向き合って、きちんと考えることを忘れずに。考えるのも、それを自分の方へ引き寄せたりせず、目の前にあるそれに己の方を添わせるように。

 新しいものが見えると嬉しくなってつい思考が走り踊ってしまうようなことが多いし、多分瞬間的な出会いの歓びを抑えるのは難しくて押し殺す必要もないと思うけど、その後では静かに向き合うことを忘れずにいたいな、と思うわけです。

 きっとマートンからの返事が来たら情緒がしっちゃかめっちゃかになるので、未来の自分への釘刺しとして。請求内容を絞るのが下手すぎたので、あまり先方へご迷惑をおかけしていないことを祈りつつ。