CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

絵まとめ2

 最近は専らマートンカレッジ所蔵のアーヴィンの日記を活字に書き起こししたり、The Irvine Diariesとの照合を進めたりと割と真面目なことをして過ごしています。書籍では相当な量の手入れ・改変がされていたことが発覚して、雑な仕事をされたらしいことに憤懣やる方ないと同時に発見が沢山あることが嬉しいという複雑さ……。日記の中で何度か Mallory's を Mallories と綴り間違えており、見る度にマロリーがいっぱいいるなあと胡乱なことを思ったりもするわけです。

 気が向いたので、息抜きに21年6月以降の多分ブログに載せていなかった絵・漫画のまとめ。旧Twitterに載せていたものから大っぴらに公開するのは微妙かな~というラインの落書きまで新旧まぜこぜ。

 

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EverRestについて② - 収録作余話

 本をDLしてくださった方、ご購入くださった方、ありがとうございます。手に取ってくださる方々がいるのだということに少し驚いていて、とても嬉しいです。

 SNSでの人間模様に疲れてばかりだったのが嫌で、今は公開垢も壁打ちに近い運用をしており、気疲れしない代わりに視野が狭くなっていることを実感します。がっつり登山系の方に触れられると一層どきどきしますね。アウトプットがサブカル的タッチなので不快でなければいいなあなどと思いつつ……実話パートは論文みたいにガチガチのスタイルでこそないけれどノンフィクションとしてまとめているので、ここだけでも楽しんでくださっていたら嬉しいです。

 

 今回は収録作のことについてこまこま書き留めておきたいと思います。同人誌の内容について触れています。思いついたらちょこちょこ加筆していく。

 解題に倣って、基本的に実在人物をマロリー/アーヴィン、架空の登場人物をジョージ/サンディと表記します。長いのでつづきに折りたたんでおきます。

  • フィクション
    • 白銀の一等星
    • 公募隊憑きの幽霊
    • ある登山家の遺稿
    • ミッシング・ボディAの肖像
    • オールドテントの待ち人
    • Phantom Ridge 1933
    • Blood and Sand, Our Beloved Blue Paths!
      • Burnt Our Bridges
      • Swap Horses in Midstream
      • Roll Pl/ray
      • True Love is Like Ghosts
      • The Ladies of the Mountain King
      • The Day You Made Me a Hero
      • The Ghostlier Wanderers
    • Sic Itur ad Astra(没稿)
  • ノンフィク・エッセイ
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EverRestについて① - 裏方思考のバックヤード

 イギリスで暮らすようになったらゆかりの地についてなどブログに書き留めておこうと決めていたのに、バタバタしているうちに渡英から一年経とうとしている……。

 書こうという気持ちはあるので、回想みたいになってしまいますが色々写真と共に残しておきたいと思っています。サンディの母校に勤めたり、彼らの故郷を訪れたり、アーカイブアルパインクラブで遺品や写真を手にする機会に恵まれたり、古写真や直筆のエフェメラをしばらく手元に置く幸運にあずかったりと、愉快に暮らしています。

 

 そんなこんなでこちらでやるべきことが沢山あるのですが、冬~春にかけて同人誌を作りました。

 "エヴェレストの幽霊" をテーマとした同人誌『EverRest』が出ます!

 ショップページはこちら。サミットバーサリー記念として出したいので6月8日からの頒布です。おまけも同日発売です。PDF版本編は無償なので、ご興味がありましたらお気軽に手に取っていただければと思います。Twitterでも告知を出していますが、この通り300p近いボリューミーなファイルです。

 おおまかに小説6割・実話2割・解説他2割といったページ分配です。この目次はマロリー・サンディ・ビーサム・ハザードが参加した遠征出港記念ディナーのメニュー風に寄せたかったのですが、フォントや文量の違いなどで難しく断念しました。レイアウトはちょっぴり近くなくもない。

 山岳モノを書けるタイプではなくテーマもテーマなので、小説については「マロリー・アーヴィンの物語をフックとして怪奇幻想ジャンルの空気感をエヴェレストという舞台に持ってきた」くらいに思っておくとギャップが小さめになると思います。まるで珍書の紹介文のようだ。

 

 基本的に同人誌を作ることがないので、折角だしブログでも少しこの本について喋っておきたくて記事を書くことにしました。本の中ではなるべくフラットな態度を心掛けたかったので、こちらではもう少し感情的だったり個人的だったりする部分を書き留めておくつもりです。

 頒布開始以降に表紙(友人が描いてくれました、ありがとう!)や収録作についても書きたいのですが、今回はとりあえず頒布形態などについて。

 

***

 

 EverRest、同人誌としてはページ数がかなり多い本になりました。A6なので嵩みやすいとはいえ、普通に市販の文庫本レベルありますね。実話を収録するための資料収集で相応に出費を重ねていることもあり、正直に言えば少しでもお代をいただけると助かる状況ではあるのですが、それでも基本無料とした理由がいくつかあるのできちんと書いておこうと思います。

 

 まず通常なら金銭が発生して然るべきレベルでページ数の多い理由のひとつが、収録作「ミッシング・ボディAの肖像」が連作形式の一行小説だからです。

 一行小説を軽んじているわけではなく、自分でも好きな作品で面白味があると思うからこそ収録している(書籍版もウン十万の費用回収見込みがないまま印刷するので無為にページ数増やす余裕なんぞない)のですが、自認としては自分が短歌や詩など短文を味わうスタイルに向いておらず、この白い紙面に堂々と金銭的価値を付与するのが怖いというのが率直なところです。といって行を詰めたり、収録を見送るのも嫌だったので、公開するものは無料頒布にしておけば気兼ねなく配置できるという考えでした。

 一行小説の、要素を提示しつつ余白が大きいため解釈やイメージの幅が広がるところがとても好きでして。これは出来上がった時に友人たち(私のツイートを見ているのである程度遠征について知っている)に読んでもらったところ、自分が想定していた情景とはかなり違う光景がイメージされていてとても面白かったです。その辺りも含めてまた後日の記事で書ければ。

 

 続いて実話集パート(「GhostNote」)に収録している翻訳の問題。

 邦訳がない文献をいくつか見つけることが出来たので、引用の範疇内で翻訳して載せたりかいつまんで紹介したりしているのですが、訳文の正確性を担保できるだけの自信がありません。読み物としては耐えられる範囲だと思いますが、参考文献みたいな使われ方をすると誰も幸せになれない可能性があるので、提示している典拠を直接当たってほしいなあと。

 基本的に大きく間違っていることは無いと思って公開しますが、Excelsiorという書籍に載っていたマロリーの霊との対話だとする文章は19~20世紀のオカルト関係者や事情への知識がないとちょっと訳すのが難しく……調べつつ頑張ったのですが、その場その場で調べながらの付け焼き刃なので、言葉そのものの取り違いとはまた別の意味でもズレた訳を取っているかもしれません。ごめんね。

 そんなわけで、実話パートを目当てに手に取ってくれる人がいたらこんな状態で金額設定するのはちょっと申し訳ないなーという気持ちがあります。

 

 それから愛着の問題。

 これはかな~り書くのが厭な思考なのですが、「お金を払って読んだのに面白くなかった」と思われることを想像するのが非常に嫌です。

 自分の書いたものにはかなり愛着があり、読み返す度に面白~ッ!! と思っているのですが、同時にこれらの話がこんなにいいと思えるのは、登場人物のモデルや舞台への思い入れ、物語の趣味嗜好、コンテクストなんかを共有できている自分自身だけじゃないかという気持ちもあり。

 普通に本を買って読んだけど面白くなかった・合わなかったなんてことはざらにあるし、当たり前に起こることで別段気にしなくていいと思っているのですが、自分の書いたものにそれを向けられうると思うとかなり嫌で……。それはそれとして読んだけどおもんなかったという人が出てくる可能性はあるのですが、時間は取ってしまったかもしれないけれどお金は取っていないので大目に見てください。

 

 と、ここまで結構ネガティブなことを並べてしまいましたが、一応それなりにポジティブな理由もあります。

 エヴェレスト、マロリー・アーヴィンや20年代遠征、ちょっと変わった幽霊話……どんな角度からにせよ、このテーマに関わる事柄に少しでも関心のある人にできるだけハードル低く手に取っていただきたく思います。

 まあどれだけそんな関心持っている人がいるんだという気はするのですけれども、日本でも朝里樹先生によって「エベレストの幽霊」がサンディとしてのイメージ強く紹介されたりなんかもしたわけで。関心を持った誰かが実話集なんかにちょっと目を通して、一本、一枚でも作ってくれたとしたら、印刷費全回収以上に嬉しく思うわけです。可能性が0ではない以上、細い糸でもなるべく太めに残しておきたいなあと思っていたりします。

 

 友人が 人は少しでもお金を出したものの方が大事にしやすいという話をしてくれたこともあり、どの理由もそれだけだったらお金受け取ることにしてもよくない? という気持ちになるのですが、ちょっと数が多すぎて……! 精神衛生のためにも基本無料頒布とすることにしました。

 版権の二次創作だと極端に安価に設定した同人誌が出ることによるトラブルも起きるなんて話を聞くけれど、今のところマロリー・アーヴィン関係でこういうオタク的活動している人ってほとんど見ていないし、同人誌に至っては観測していないし……。もし基本無料としたことによるトラブルが発生した場合は価格改定として金額を設定することになるかもしれませんが、大丈夫だろうと思っています。

 「お前が300p近くも無料頒布しているせいでテーマが近い本を出したいのに価格設定が難しくなる」というご意見があったら大喜びで対応するのでよろしくお願いします。

 

 そんな感じで防御姿勢強めの無料頒布決定ですが、もし読んでみて面白かったり、少しお金を出してもいいかなと思ってくださったりした方は、こちらから入れてくださるととても励みになります。

 本体の購入履歴などからブースト形式で入れられるように出来たらいいのですが、無理らしいのでこのような形を取りました。自分で値をつけるのは怖いけれど、読んだ人が出していいよと思ってくださるならそれは素直に嬉しいです。

 お金を出してくださる方に何もないのも気が引けたので、リンク先を見ての通り書籍版にのみ収録予定だったエッセイ(?)がついてきます。「エヴェレストの幽霊」とは何なのか、イギリスに来てから触れた遺品や訪れたゆかりの場所、調査を助けてくださった人のことなどをつらつら書いています。

 ただこれのためにわざわざお金を出すような内容ではないと思います。PDF版本体から抜いたのは分割商法的なものではなく単純にこっぱずかしかったからです。身内以外の前に出す予定で書いていたものではなく……ただ他に何か出せるかと言ったら特になくて……。そういうものがお礼になるかは分かりませんが、一応これで書籍版とほぼ完全に同じものが読めるのだと思っていただければ。

 

 ついでに書籍版について。

 書籍版は自分と身内用に印刷所さんの最低部数だけ刷るのですが、

  • 表紙に特殊紙を使い、特殊紙に特殊加工を施したカバーを巻いた300p本なので、無利益で価格設定しても非常に単価が高い(原価¥15,000くらい)。
  • イギリスから日本への送料が高額になりがち。ロイヤルメールは安いけど紛失・遅延などトラブルが多く、金銭的取引をする品を預けるには不安。
  • そもそもテーマがニッチで自分も影響力があるタイプではないので、お金を払って書籍版を欲しい人がいるか分からず、管理費のかかるBOOTH倉庫に預けるのも気が進まない。

 といったような理由から、少なくとも当面のあいだは基本的に書籍版の頒布はなしということにします。100円でほぼ全く同じ内容が読めるようにしているしね。

 1回コミティアに出てみたいな~という気持ちがうっすらあるので、もしかすると来年夏の帰国後にティアで並べたり、自宅発送の形で通販するかもしれませんが未定です。

 流石に原価が高すぎるのでほどほどの値で並べるはずだけど、どのくらいが妥当なんだろうなあ。同人に詳しい人の意見も聞いて決めようかなとか……そんな状態なのでね……!

 ただ万が一書籍版が強く欲しいという方がいらしたら出来るだけ対応したいとも思うので、もしもそういう方がいらっしゃいましたらTwitterかBOOTHメッセージでご相談ください。

 表紙にはシェルルックツインスノーという用紙を使用します。ちょっと粒立ったラメ感があって印刷色の明るい部分がきらつくそうなので、雪面などがクラストしている時のきらきら感が出ていたらいいなあ。名前も素敵。

 カバーにはパチカという紙を使用します。熱を加えながら型押しすることで透けるようになる変わった紙で、タイトルの一部が透けるようにデザインしています。このカバーがむちゃくちゃ高かったので綺麗に出来ているといいな~。

 デザイン意図や仕上がったものについてはまた後日!

 

 あとは……個人的な主義として自分が人に自分の作ったものを押しつけたり感想を要求したりする類の行為に出るのに気が進まないだけで、興味を持って手に取ってくださったり、感想があるからと送ってくださったりしたらそれはすごく嬉しいです。もしかすると感想が地雷なタイプに見えるかなと思ったので念のため。

 ご意見などがあった場合に備えて匿名でメッセージ送れる窓口を作るべきかもしれませんが、管理する先が増えて取り零すのが嫌なのですみません。Twitterでしたら捨て垢からフォロー&DMとかでも大丈夫です。誠実にやれているだろうか。

 

***

 

 全体的にちょっとネガティブなことを多めに書いてしまいましたが、防衛線張る癖が抜けないだけで、自分としてはとてもいい本になっていると思います。 エヴェレストの幽霊だいすき!! もう何年も欲しかったテーマの一冊なので、手前味噌ながら実現できてハッピーハッピー。

 収録作はどれも気に入っていてそれぞれに面白いポイントがあるし、実話集も日本語では読めないものを集めたという点で意義があると思うしね。そして表紙……については改めて書きますが、見た目に華やかなだけではなく本当に細かに描いていただいていて……! ほんとうにありがたいことです。

 収録している小説は全部「プロローグから派生し得る違う世界線」として扱っているので、フィクションパートをお読みくださる方はどれかひとつ、あるいはひとりでも気に入っていただける「幽霊」のお話があればとても嬉しいです。

 そしてもちろん実話についても! 交霊術はともかく山における話については心理学や脳科学の面からある程度考察されたりもしているのですが、実話系の幽霊話や奇妙な経験談が好きな人には面白いと思います。私は調べていてとても楽しかったです。やっぱりスマイスのエピソードって最高。

 

【ショップページまとめ】

 ひとつでも何かよいものを残せますように!

大山日記/山と骨

 身バレが若干気になってあまり詳しく触れずにいたのですが、引っ越して関西を離れたので大山の簡単な記録と書きかけのまま終わりそうな怪談風短篇の安置。

 

  • 一回目、冬の大山(2021.1)
  • 二回目、夏の大山(2022.6)
  • 山と骨(wip)

 

一回目、冬の大山(2021.1)

 21年1月25-26日と引越し直前の22年6月13日、鳥取岡山県境にある大山へ登ってきた。標高1,709m、中国地方最高峰で、自分の脚だと夏なら神戸から公共交通機関を使っても日帰りできる位置。

 素晴らしい山だけれど、いかんせん日本海に面しているため標高の割に積雪量の多さや天候の荒れ方が厳しく、雪山としてやるには背伸びしすぎたなあという反省の残る山。

 

 最初に登った時は、天候が崩れなければ山頂にある小屋(夏は売店も営まれるが冬は無人)に二泊する予定でいた。トイレは使えるとはいえ厳冬期の無人小屋泊、それまで山で眠るのは夏の有人小屋ばかりで、トラブルから当日延泊が決定した時以外は食事もお願いしていたので、荷物の多さが一段階変わっていた。

 当日の日中はほぼ快晴無風。森林限界を超えるとぐっと冷え込むが、樹林帯を超えるまでは少し暑いくらいだった。溶けた樹氷がしゃらしゃらと音を立てながら降りそそぎ、五合目付近でアイゼンを履くあいだも絶え間なく降り続けては襟ぐりから背筋へ入り込み火照った肌を冷やしてくれた。

 重い荷と、それを背負って登るにはきつく感じる斜面をコースタイムより随分遅いペースで登り、小屋にザックを置いて一息ついてからアックスを手に夕暮れの景色を楽しむ。人の姿もまばらで本当にいい黄昏時だった。

 雪山の日没や夜明けは本当に美しい。薔薇色の光と雪に落ちる蒼い影が大好きだ。

 宿泊した無人小屋。泊まる予定で登ってきたという方とは会ったが予定変更したそうで、この日一晩まるまる泊まったのは私だけだった(この方が全身アークテリクスだったので、狂気山脈を思い出してちょっと楽しい気分になった)。一年前に改装されたばかりの綺麗な小屋で、二階に銀マットと寝袋を敷いて休ませていただく。あまりにもピカピカなものだからちっとも妖怪なんか出そうになくて、ほっとすべきなのだろうが若干肩透かしを喰らったような気さえした。

 ところで大山というけれど、実際に登った山頂は一番高い頂ではなくそのすぐそばの弥山という山。最高地点へ至る稜線は崩落が酷いため、少なくとも夏は立入禁止となっている。当時はそのあたりの事情を詳しく知らなかったのと、マップ上立入禁止区域になっているところへ入って万が一滑落なんかしたら迷惑もいいところなので踏み入らなかったが、トレースはしっかりついていた。上の写真で奥へと延びる尾根がそれで、手前から剣ヶ峰(1,729m)、槍ヶ峰(1,692m)。

 夕暮れを楽しんでいた人たちも全員下っていき、自分だけになってからは舟をこぎつつひたすらお湯を作り、無理やりお茶を煮出し、生煮えめいたラーメンを噛み、合間合間に表へ出ては貸切状態の夜の山を満喫する。よく晴れた空に広がる星、ゆらめく街の灯とえぐるような美保湾の黒いカーブ。自分以外の人間がそばにひとりもいない嬉しさ。贅沢だ。

 切株を使いながらスマホの長時間露光で無理やり撮った夜の山。
 よく晴れて月も丸かったので、ライトがなくても雪に自分の影が落ちるくらい明るかった。星を見るには向かないけれどいい夜。大山は電波が繋がるので母へ簡単に連絡し、次は夜明けを見るために就寝。
 …が、あまりにも寒すぎ+銀マットの固さに不慣れでなかなか寝つけない。手足が冷たすぎて痛み、マグマカイロを靴下に突っ込んで温めることでようやく疲労も相俟って浅く眠る。

 そして迎えた朝は、よく晴れて美しい朝焼けを拝めたものの風速20m/sと台風ばりの強風。しかもうっかり落としたスマホが凍りついた山頂をするする滑り落ちていき、沢筋へと消えてしまい回収不能に。電波が繋がっていて登頂後に何枚かTwitterやLINEで送っていたおかげで初日の写真データは低画質ながらも残せたけれど、朝陽は記憶の中にしか残らなかった。

 天候が崩れそうだという話もあり日程を短縮し、心配してお声がけくださったガイドさんや他の登山者の方と下山することに。その中でアイゼンのコバが外れたり、急勾配のアイスバーンで刃がきちんと刺さらないまま次の足を浮かせたせいで滑落したりと随分やらかした。幸い顔を擦り剥いたり軽い突き指をしたりした程度で済んだものの、総じて見通しの甘さと背伸びのしすぎが目立ち、非常に反省の多い山行となった。急遽下山することになったのもあるが、カロリー不足でへろへろ気味だったのも一因だろう。

 

 対外的にはここで切り上げるべきなのだろうけれど、本音を言うとこの山行はすごくすごく楽しかったし、思い返すことの多い山行のひとつだ。

 滑落したというのは危ないことだし、よくよく反省すべきだと理解しているし、しているつもりだ。でも滑落しうるような環境の山に登った歓び、ひとりで過ごす雪山の頂という報酬、擦り傷程度の代償で滑落と言う経験を得られた幸運(「滑落で死ぬ」経験は流石に今辿るわけにはいかないけど滑落という経験自体は実感が欲しくて、それこそ滑落停止訓練でもものすごく熱心な生徒になっていた)、きちんと滑落停止できたという満足感、そういったものを得られて「よかった」が遥かに勝ってしまう。

 「手間をかけさせたり心配をかけたりして申し訳ない」「救助を呼ぶような事故になっていたら大変な面倒だったし、保険に入っていてもそういう事態に陥るべきではない」という他人を煩わせたこと・煩わせていた可能性への肩身狭さはあるけれど、自分の実感として怖かったとかやらなきゃよかったみたいな気持ちが全然ない(俯瞰した時やるべきではなかったとは思っている)ので、理屈に感情が追いついていなくて薄っぺらで申し訳ないなあ…と未だに思っている。反省はしているのだけれど。

 こういう時にマロリーが自分の能力を超える登山をして事故を起こす人間を嫌って手酷く非難していたことが効いてくる。理屈で自制できる範囲のことだけど、理屈をすっ飛ばして感情に効くのはこっちだったりする。

 この自分だけで完結する範囲でいえば全く悔恨がない薄っぺらさは度々弁明してしまっているのでこのくらいにして、今回はもう少し好きな方を書き留めておきたい。

 地理・経済・時間的に雪山へ通うのが難しく大して経験を積めていないのに言うのもおこがましいけど、夏山より冬山の方がずっと好きだし、もっと経験を重ねたい。

 冬山、というか厳冬期の森林限界超えガッツリ雪山に登りたい理由は色々あるけど、まずマロリーやサンディたちの見た世界への解像度を少しでも上げたいから。無論彼らのやったエヴェレストと自分が登れるような雪山は全然較べるべくもないのだけど、まずもって雪を歩いた経験が物凄く少ないので、雪のある山というだけでも学習初期みたいな解像度の上昇がある。雪を踏み、アックスやアイゼンを使い(彼らは鋲靴の方が重宝したけどね)、実感として"重い"荷物を背負いながら登ること。スケールダウンした追体験を求める気持ちは常にあって、一番近くに感じられるように思うのが雪山だから。この大山行では無人小屋を利用したのでテントを張る苦労はなかったけれど、初めて雪からお湯を沸かす経験もできてよかった。

 あとは個人的な体質や気持ちの問題で、暑いのがとても苦手で水分を多く摂る方なので夏山はかなり標高が高いところへ行かないとバテバテだったり、水だけで荷がずっしり重くなってしまったり、万が一水が切れた場合のことが気にかかったりする。虫が好きになれないし、雪崩や滑落で死ぬのは受け入れられるけど動物とのバッティングが滅茶苦茶怖いので、クマは冬眠に入っていて虫もほぼ飛んでいない、動物がいても視界が開けているので好天である限りはまず突発的な遭遇が発生しない状態が好ましい。

 雪山は死んでなんかいない。ヒマラヤ極高所などはともかく、大山くらいだったら春になれば雪は解けていき、隠れていた木々や草は芽吹いて花が咲く。それを繰り返すのだから、生命体がいるかという話でいえば眠っているかもしれないけど死んでなどいない。でも雪と氷に覆われ森林限界を超えた頂は、風の音と自分の呼吸や拍動、足音、身じろぎした時にすれるゴアテックスの鳴る音くらいしかしなくて、本当に静かだ。哲学的な問いはさておき、生物として活動しているものが聞こえる範囲で自分しかいないのは本当に良い。自分を排除するのは物理的に不可能だし、これ以上は精神的に詰めるだけの状態。そして活動する生命体の少なさは、自分の感覚だと清潔さに直結する。厳冬期、ひとりきりの凍った頂は、とても清潔で静かな世界だ。限りなく雑音が少なくて、気持ちが軽くまっすぐになる。

 それがとても心地よくて、でもきっとマロリーたちの登って息をしていた世界とは乖離しているなと思う。仲間との協力とか、瑞々しい自然への愛情とか敬意とか。愛情や謙虚さという観点からいえば、きっと真逆の場所にいる。より近い追体験を求めるなら思考を変えるべきだと思うけど、今年の冬山でもそれは変わらなかった。今の思考と嗜好が自分らしい気はするけど、今後変わるだろうか。

 

 日記を書き留めたい気持ちと絵を発散したい気持ちが追突起こしていたけど既存キャラクターを代役に立てた実録みたいなのはあまりやりたくない、せっかちすぎた…。

 夜、小屋の一階で新雪のブロックを溶かしつつヘッドライトにカバーを被せた簡易ランタンで灯りをとりながらお湯を飲んでいた時の印象。
 浜松市京都市→神戸市と積雪がレアイベな地域で生まれ育ち暮らしてきたので、窓の外まで雪がぎっしり積もっている見え方だとか、雪が音を吸ってしまって他に生物の気配が全くない静けさだとか、新鮮に感じる要素が多くて印象的だった。

 

二回目、夏の大山(2022.6)

 二週間ほど前、6月13日に再度大山へ向かった。直接的なきっかけは会社のえらい人が登山好きで、ある年の5月末に登った大山で見た山頂部が素晴らしかったから是非にと熱弁してくださったこと。ちょうど霧が晴れた瞬間で、露に濡れた若葉のきらきら輝く様が素晴らしかったそうだ。僕がまた一段と登山を好きになったきっかけだとまで言われたら行きたくもなる。引越しを一週間後に控えてバタバタしていたので悩んでいたものの、結局心残りになるのが嫌で行くことに。

 そしてこの日の目的はもうひとつ、21年の山行で自分が落ちた地点をはじめ、あの日見た景色が夏だとどんな風なのかを見ておくことだった。落ちて死んだ世界線の自分の墓参り?現場検証?と思うとなんだか面白い。他人相手ではとても考える気にもならないけれど、自分相手なら不謹慎なブラックジョークもやりたい放題。

 そんなわけでちょっと親には言いづらいような目的も抱えつつ登り始めたのだが、あまりにも階段が長すぎて想定していたよりも随分キツかった。普段足があまり上がっていないのだろうね、階段苦手! 階段が長いとは聞いていたけれど、まさか山頂付近の花畑スロープまで99%階段とは思わなんだ。今回なかなか寝つけず睡眠不足が酷かったのを加味しても、冬の方がスロープ状になっていて楽かもしれない。

 冬にアイゼンを履いたのはたしかこの樹の下だった。しゃらしゃら樹氷が落ち続け、時々帽子の上にかぶさるような場所。

 それにしても平日なのに思っていたより人が多く、しかも大人数グループ複数とかち合ってしまったせいで騒がしく、おまけにラジカセ持ち込みでずっと音楽を流している集団まであったので、登りは本当に気が滅入ってしまった。あまり健全なことではないかもしれないけど人が嫌いで登っている部分も大きいのに、ずっと人の気配と声があってしかも興味のないポップスまで流されたら台無し感が強い。とはいえそういうものは全部自分の我儘や傲慢さなのは分かっているので、登りながら反芻するうち不満は自虐めいた内省に変わっていき、避難小屋で休憩する頃にはかなり気分が落ち込んでいた。

 避難小屋からの景観は冬との対比が最も分かりやすいポイントのひとつ。冬にここでサラダチキンを齧りながら水分補給した時もかなりきつかった記憶がちゃんとあるけど、騒がしさと疲労と空の重さとで冬の恋しさばかりが募ってしまった。

 その後も登り続け、やっと階段が終わるとスロープが敷かれた穏やかな登りになる。

 低木と草花ばかりで視界は開けているのだけど、その緑の層がすごく厚く感じられた。高山植物ばかりなので下界で見る草木ともだいぶ印象が違う。「もさもさ」という擬音がしっくりくる様だった。

 高山植物は見ていて楽しいし、この景色それ自体は面白いものだった。でも先に冬の真っ白で無機的な山を見ていたせいか、この厚く柔らかい緑に覆われた山肌を見た時、率直に言うとグロテスクな美しさだと感じた。腐海を連想したあたり、綺麗な屍体に根を張り蔓延るようなイメージを抱いたのだと思う。ホラーめいたその発想は自分は好きだけど、なんだか山に失礼なようで後ろめたさもあった。

 山頂小屋。小屋内では売店が開かれているが、冬のしんとした無人小屋の記憶だけを残しておきたくて立ち寄らないことに。冬は左に見えるV字の筋へスマホが吸い込まれて行ってしまった。分厚い氷雪に覆われる冬と違い、夏は植生保護のため敷かれた遊歩道から外れられないので捜索不能。小屋裏は工事中で、お昼休みに入るまで山頂ではドリルの音が響き渡っていた。感謝の気持ちと一緒に落胆が酷くなっていくのが申し訳なかった。植物も虫も人間もとにかく生き物の気配や音やいること自体がノイズに感じられて、物凄く自分勝手で感性の乏しいことをしていることにますます落ち込む。

 山頂碑越しに。冬は碑の向こうまで進めるし、行こうと思えば剣ヶ峰・槍ヶ峰まで行けるけど夏はここまで。冬の方が自由な印象が強まっていく。

 登頂したものの元気がないままで、しょぼくれながらおにぎりひとつを流し込み、写真を撮って回復したらさっさと下りることに。

 滑落した場所やらアイゼンコバの外れた場所やらを気にしつつ下りていく。

 確信は持てないけど多分アイゼンコバが外れたのがこの辺りの急勾配で、

 滑落したのがこの辺り、左斜面寄りで滑ったんじゃなかったろうか。
 断言できるくらいの確信が持てればよかったけどそこまでは至れなかった。まあ警察の現場検証ではないのだし、自分がこうだろうと思ってそうだろうと適当に納得しながら物語を見ていくような勝手をしても良いのではということで。

 登路は夏山登山道を使ったので下山は途中で分岐する行者道を使うことに。どちらもよく整備されているけれど、行者道の方が比較的人が少なめで鬱蒼とした印象。暫く下ってルート確認している最中にクマの目撃情報が投稿されていたのに気がつきよっぽど引き返そうか迷ったものの、そこからまた角度のある細かい階段を登り返す気力がなく、熊鈴をオンにしてチリチリ音立てながら下りていく。まだ上の方にいる時、行者道のあたりで救助ヘリが来て暫く行ったり来たりしているのを見ていたので、まさかクマとバッティングした結果の事故じゃあるまいなという不安もあった(このヘリが来ていたのは滑落を目撃した人の通報によるもので、ニュースになっていたけどご無事だったそうです)。

 人が嫌で登っている部分もあると言ったけど、確固たる信条も本当の意味での人嫌いを貫くような割り切りもないので、一ヶ月前にツキノワグマの目撃情報があったと気がついた瞬間に人の気配が恋しくなりました。軽薄なものだよ本当に安い精神性を…。

 行者道で見たかわいい白い花たち。一枚目は蝶が群れているようで可憐、アジサイの一種かな? 二枚目は真っ白な星屑が尾を引いて群れているようでロマンチックだった。

 河原へ出ると聳える北壁が見事。この地点から晴れた日に撮影された写真がとても鮮やかで見事だけど今回は曇天でした。降らないだけありがたい。
 順調に下って最後は神社へお参りし、麓のお店で食事と土産物を買って帰路についた。行者道は神社へ出るまで静かだったのとクマの恐怖があったのとで、終わった時には気落ちも随分持ち直していた。

 

 いい山行だったかというと手放しににこにこ顔というわけではないけれど、行かないと心残りになったのは明白なので足を運んで良かったのは間違いない。

 でもやっぱり人が少なくて、生き物の気配も薄くて、雪と氷と岩でできた白・青・黒の世界で、ひとりで頂を歩き回りながら過去の出来事やもういない人のことを考えたり、日没と夜明けを浴びたり、生き物以外のスリルを味わいながらちょっと難しい箇所や課題を乗り越えてアドレナリンと達成感を得たいのだろうなあと思う。冬の大山の方が面白かったし好きだと断言できてしまう。すごく自分勝手な登り方をしていて嫌だなあ、登山って自分との闘いや向き合うことに向いている行為だとは思うけど自分本位の思考に囚われるのはちょっと…。

 

 そんなこんなで終始自分の話になっちゃったなあと思いつつおしまい。

 先鋭登山ができるような能力と環境があるならともかく運動音痴なくらいなのだから、独りになるような思考よりも山にまつわるものはなるべく沢山好きになるべきだと思うな。これは理屈だけど。

 イギリスへ行くときは一旦山道具を実家に置いたままにするけど、早く送ってもらえるような状況が整うといいなあ…。

 ずっと海外に興味がなさそうだった父が行きたいところが出来たというので聞いたら、アルプスのエギーユ・デュ・ミディとのことで驚いた。マロリーも登っているゆかりの地で、私も出来れば行ってみたい場所のひとつだった。フランスだけど、英語での通訳ができるようになって父と一緒に行けたらいい思い出になりそうだ。うーんマロリーゆかりのルートは高難易度過ぎて難しいにしても行ってみたいし、出来れば登ってみたいなあアルプスの山!

 でも楽しむためには静けさを偏重する傾向を直しておくべきだろうなあ。

 

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Birthday🌹0618

 

 引越しカツカツすぎて危ぶんだけどなんとか間に合っていました。藤!

 記事は流石に間に合わなかったけれど記念に描けてよかった…。

 

 4月の絵と対にしたいというのは前々から決まっていたのですが、なかなか花が決まらなかったりラフが微妙すぎたりで悩んでしまった。

 サンディは4月だしヒマラヤザクラというものがあるからこれにしよう(と描いたら初冬の花だった)という流れだったけれど、今回は6月にイギリスで咲く花から絞っていきました。

 最終的に藤とキングサリでの択になり、紫は瞳の色とも合うからということで選択。そして何よりロンドンなどのお家で時々藤の蔦を這わせて咲かせているお家の写真が印象的だったので、個人的にはヨーロッパのイメージもある花でした。とはいえ向こうでは藤から日本を連想するものともいうし、この点桜との共通項で良かったかもしれない。

 藤棚も好きですが向こうへ行ったら壁が紫色にちりちり揺れている家も見られたらいいなあ。

 

 春のサンディはアーカイブで見た服が描きたかったのもあったけど、マロリーについてはまだアーカイブ系を訪問できていなくて印刷物とネットで見つかるものしか見ておらず。渡英中に非電子化史料もお目にかかりたいものです。

 最近だとすっかり見落としていたMystery on Everestはマロリーの小さい頃に姉妹と写っている写真(The Wildest Dreamに掲載の母と姉妹と写っているものとは別の写真)があったり、ネットで画質の悪い画像しか見たことなくて探していたボート部での写真が載っていたりして良い資料でした。サルケルド氏の著作なのにどうしてずっと見落としていたのか…。

 アーヴィン家もそうだったけど、小さい頃はみんなドレス着せられていてとても可愛い。The Wildest Dreamに掲載の母と姉妹と一緒の写真は恐らく5歳頃、セーラー服を着ていて、よく見るとお母さんにしっかり服の裾や手を押さえつけられて脱走しないように抑えられているのが面白いのですが、Mystery on Everest掲載の写真はもう少し幼い頃だったようです。姉妹が白いドレスを着て椅子に座っている間で、暗い色のドレスを着たジョージが籠を持って立っている写真。成長するにつれて髪や瞳の色が暗くなるという話はよく聞くけど、この写真のジョージはかなり髪色が明るく見える…光の加減だろうか。

 子供時代の写真も可愛いし、学生時代以降の写真も様になるものばかりですごい人だ。初見だった写真の中に姉メアリと一緒に写っているものがあり、草の上に半ば横たわりながらベリーか何かを見ている姿がまた良い。カメラの方を見ているメアリも恐らく同じものを持っていて、彼女の前にバスケットらしいものが置いてあるので、兄妹ないし家族でピクニックだったのかな? 写真を撮ったのも家族かも。しかし手に取ったベリーを見ているだけなのにこんなにエモーショナルな図になるって、雰囲気のある人っているものなんだなあ…。

 あとは他の資料でも見かけるけれど、折りたたみ椅子に掛けて書き物をしている写真も大きな画像を見られてよかった。ずっと大判本を読んでいるものと思っていたけど、ペンを持っているので多分ノートですね。この写真を見るたびに、コティ・サンダースが混み合うカフェでひとり小説を読んでいるマロリーの姿について語っていた言葉を思い出す。"一種の無意識状態で……茶色の髪が一房、絶えず額にかかってくるのをたまにかき上げるくらいだった。絵のような、無頓着な格好で、灰色のフランネルの服に派手な色のスカーフを首に巻いていた。"

 服飾含め文化について知らないことが多すぎて追いつかないけど、ただ見ているだけでも楽しいし、あとから知識が増えて思い至ることが出てくれば閃く瞬間も面白いものです。

 

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サミットバーサリー2022

 98th

 昨年は日記の訳作りなどで何も描けなかったので今年は記念に描けて良かった…。

 リアルタイムで追っていたりするとこの日は結構堪えるけど、絵柄といいシナリオ関係といいかなりサブカル的な触れ方もしてしまっているし、そもそも他者を自分の側に勝手に引き込むような行動は気が引けるので、少なくとも外へ向けて特定の日についてあまり深刻なニュアンスのことを言いたくない。できれば今年みたいなサミットバーサリーとしての触れ方がいいんじゃないかなと思ったり。

 それでも資料の浚いを進めている時期とかち合うと落ち込むけどね…。

 

 昨日はちょうど百年前の22年遠征にて酷い雪崩事故が発生し、アタックの打ち切りが決定した致命的な日でもあったのですが、本当に慌ただしさや気の散り方で全然おさらいできないまま百周年のシーズンが終わってしまうなあ。関心の中心は24年とはいえ、惜しいことをしてしまったとも思う。

 2年後は2年後でイギリスでの滞在期限が迫りつつある時期で慌ただしくしているかもしれないけど、第三次遠征から百周年記念の展覧や講演に行けたらいいな。

 

 実家への引っ越しがカウントダウン状態で、そこから一ヶ月でいよいよイギリス行きなので慌ただしいけれど、それまでにやりたいことや楽しい予定も多くて有難い限り。全部やり切ってから渡英したい…。

 

神々の山嶺

 7/8にはいよいよアニメ映画版神々の山嶺が公開と相成るのでそわそわしています。試写会行きたかった~でも出国前に見られる見込みでよかったー! 地元だと少なくとも公開日には上映なさそうなので名古屋行きかな…? 朝イチの上映に行く予定。

 初見感を楽しみにしたくてあまり調べていなかったので、予告動画でマロリーとサンディが登っているシーンがあってはちゃめちゃに喜んでしまった。1924年6月8日昼頃までの山頂付近はよく晴れていたと言われているはずだけど(前日のマロリーの見通しも快晴無風に近いニュアンスだったしね)、トレーラーの映像だと雪あり風ありで、喜びの次には胸が痛くなってしまった。

 フランス語や英語のWiki見る感じ台詞は無さそうな気がしているけど、登っている二人の姿を見られるだけでもかなり満足してしまうな…。彼らはこの物語の主題ではないことは百も承知しているのであまりこの辺の話ばかりするのも申し訳ないと思ってはいる。もちろん本筋も楽しみだし、お見かけした試写会感想だと登山要素に特化しているらしいとのことなのでアニメーションでの登攀表現にかなり期待している。あと背景美術! 高所の空や、明けや暮れに染まる雪の色大好き。

 基本的に日本語しりょうは印刷物しか見ないようにしているので、ポスターや宣伝でマロリーの名前を日本語でバンバン見るのちょっと不思議な気分になってしまった。

 そしてユアン・マクレガー主演の遥かなる未踏峰ベースの映画は無事に上映されるのだろうか…。

 

◆古写真のこと

 昨年イギリスのオークションにサンディが写っている古写真が出品されていたのですが、完全に見落としていたことに今年2月下旬に気がつきまして。

 1923年6月撮影、マートンカレッジの学生たちの集合写真。最前列中央にサンディが座っていて、解説によれば恐らくボートでの活躍によるポジションだろうとのこと。

 オークションで競り落とされたものにはSOLDの表記がついているのですがこちらには何もなく、駄目元で問い合わせてみるも返信は来ず。流石にオークショニアさんへ競り以外の形での入手手段を求めて問い合わせるのは失礼だったかと反省しつつ、未練がましくカタログを何度も見返し続けること約三ヶ月、思いがけずご返信を頂いた。

 どうやらこの写真は年始頃にある古物商さんへ売ることになったものの、肝心の写真が行方不明になってしまっていたとのこと。最近見つかったので、よかったらその古物商さんへメールを転送してくださるとのお申し出に有難く甘えることに。

 その後古物商さんとやり取りを重ね、渡英後にステイ先で直接受け取れる運びとなった。フレームが大きすぎて日本へ送れないかもと言われたので渡英予定があったのは本当にラッキーだったね…なまじ出品段階で見つけていたら打つ手なし状態になっていたかもしれない。オックスフォード方面は度々訪れるのでついでに立ち寄ると仰って下さり、本当に幸運が重なりに重なっている。帰国時にどうするかは帰国時に考えよう!スーツケースに収まるといいのだけど。オリジナルのフレームと台座なので外したくないしね。

 この親切な古物商さんが、まさかの昨年訪れたアルパインクラブの遠征百周年記念展覧の準備・設営に携わっている方だった。言われてパンフレットを見返したら確かにお名前が載っていて、こんなところで繋がるとはと驚くことしきり。展覧が本当に良かったということもお話しさせていただいて、あの展覧に携わった方へお礼をお伝えすることができて良かったなあ~としみじみ…。

 友達というわけではないけれど、渡英後にお会いしましょうという約束があるのはすごく嬉しい。恐らくまだ受け答えがろくすっぽできないタイミングでお会いすることになるので伝えるべきことは全部メールに書くつもりでいるけれど、少しでも顔を会わせて会話出来たらいいな…お礼とかちゃんと口でも伝えたい。

 スキャニング・複製した写真データは沢山持っているし、写真が掲載されている古新聞や雑誌もいくらか所有しているけれど、当時焼かれたオリジナルは初めてだ…どきどきしちゃうな…。写真って重要なのは大抵そこに写っているデータなので、オリジナルか複製品・スキャンデータかというよりも傷み具合や精度の方が優先されることの方が多いと思うけど、当時の写真そのものがかなり綺麗なまま今まで残っていること、それを手元に置けるのって特別だ。大切にしなければ。

 この写真、サンディの写っている写真が一度行方不明になってまた見つかったというのも良い物語だな~と思う。モノそれ自体にまつわる物語もオリジナルならではかな。複製品にもそれぞれ物語は生まれるけど、いくらでもコピーを作れるデータや商業ラインに乗っていて再入手可能な品だと得難いケースが多いしね。

 解説にある通り、他のボート部員や二ヶ月後に一緒にスピッツベルゲン遠征へ赴いたメンバーもいるはずなので、写真が手元に来たらじっくり見たいところ。無事に受け取るまで何があるか分からないけど、恙なく進んで、温かい思い出のフックとしても傍に置けたらいいなあ。

 

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雑記

 そういう日もある

 

 遠征中に受けている「大抵いつでも機嫌が良くて楽しげにしていた」という評とは裏腹に、結構苛立ったり焦ったり落ち込んだり、本当は機嫌の悪そうな日も多いのを日記から感じる。それらの大部分を飲み込んでいるのが本当にえらいと思うのは何度も書いている通り。

 

 この記事を書き始めた5月21日はちょうど百年前マロリーたちが最高高度到達記録を更新した日ですが何も関係ない! 気がとっ散らかっていて今年22年隊のこと全然追えていないの物凄く勿体ないと焦りつつ無駄に過ごしているしこのままシーズン終わるのが目に見えている…いずれ腰据えて辿っていきます…。

 これが一週間も経たずフィンチたちによって記録が更新されるのは改めて考えると目まぐるしいことだし、二週間後には悲惨な雪崩事故が起こると思うと憂鬱になる。分かっていてもリアルタイムに近い追い方をするとしんどいよなあ…これは去年サンディの日記を再訳した時も思ったけれども…。

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Birthday🌸0408

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 今年は生誕120周年ですね。

 昨年は日記からテーマを取ったので例外として、たいてい毎年好きに明るい図を描く機会にしてしまっているのですが、今年はヒマラヤザクラと昨年マートンカレッジのアーカイブで拝見した服を描いてみたいな~ということで。

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 そう、ヒマラヤザクラは初冬の花だったんですけど…。

 嘘ばかりだよこの絵~! と思ったけど冷静に考えたら自分のアウトプットする絵は全部嘘だから今更今更! このカットもイギリス人はピースしない…って思いながらも衝動に負けた

 ちょっとだけ弁明すると、春のヒマラヤトレッキングツアー広告で桜が~という話を見た気がしてラフを切ったのですが、恐らく別種かツツジの仲間あたりと記憶違いしていたようです。

 

 マートンアーカイブで見た写真の中には様々な装いのものがあるわけですが、これは印象が強かったもののひとつです。時代とアッパーミドルクラス(あるいは裕福なミドルクラス)の生まれだった背景から子供時代よりスーツやジャケットに革靴の写真が多く、それ以外の格好をしていると印象が強いですね。この服装でゴルフしていたのかな? スーツよりは遥かに動きやすそう。

 

 何年彼らのことを調べているか分からなくなりがちだけど、サンディの誕生日絵もこれで4枚目となったので…今三年半目くらいか。

 飽きっぽいので一年後も同じものを調べ探してうろうろしているかは分からないけど、まだまだ知らないことが多いので深めていけたらいいな。ただお絵描きツールを積めるようなタブレットを購入する気持ちの余裕がないので、イギリスへ行っている二年間はデジ絵から離れることになりそう。と思うと、自分で気に入った一枚が描けてよかったなあと思う次第。

 

 サンディの誕生日祝いについての記述、1924年の遠征中にお祝いのディナーを食べたくらいしか見つからないんだよなあ。家にいた頃なら家族や親族、出てからなら友人とお祝いしていそうな気もするけどどうなんだろう。もしかしたらアーカイブに誕生日パーティーの写真とかあるかもしれない…とか考えるのも楽しいものです。

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