CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

May Day, White Flowers

 毎年この時期になるとメーデーの話題が流れてくる。日本には馴染みの薄い行事だけど、長い冬が明け、眩しい夏がやって来るのを祝うお祭の楽しげな光景は見ているだけで心浮き立つ。華やかなメイ・クイーンと緑に繁ったメイ・キング。街を行き交う人々の手にはスズランをはじめとする白い花が踊っている。

 

 ただ自分にとってここ数回の5月1日は、とても寒い場所の、とても白い人を思い出す日としての意味合いが強くなっている。

 

 1999年5月1日、マロリーの遺体が「発見」された。

 実に75年の歳月を経て再び衆人の前に姿を現した彼の遺体は、その気候のため屍蝋化して真っ白な背をしていた。凍った礫に殆ど埋もれていた彼を「発見」したコンラッド・アンカーは、目を引いたそれを雪よりも白い欠片だったと語った。

 遺体はうつ伏せになって上へと腕を伸ばし、なんとか滑落停止を掛けようとしていたのが分かる。切り立ち凍った急斜面を滑り落ちればどんどん勢いがつく。自分も凍結斜面を落ちたからよく分かるようになったつもりだけど、アックスなしに軽傷で止まろうなんて殆ど無理な話。潅木の茂みに受け止められるような高度でもないのだ。その先で岩にぶつかりでもすれば確かに止まるだろうが、もたらされる結果は崖から放り投げられた時と大差ない。

 遺体は四半世紀を経ているにもかかわらず驚くほど綺麗だったものの、腹部・臀部・片脚はゴラクに喰われており、亡くなる直前から酷い怪我を負って傷ついていた。

 落ちながら斜面にしがみついた両の掌は肉が削げているし、岩にぶつかったせいで右の腓骨と脛骨が諸共折れていた。右肘も骨折ないし脱臼。他にも右半身を中心に、擦過傷や切り傷が多数。そして恐らく致命傷となったのが額の傷…脳が零れていた。

 これだけの酷い傷を負いながらも、マロリーは折れた右脚を庇うように左脚を重ねていた。どれほどの苦痛か想像もつかない…もしかしたらいっぱいいっぱいで痛みを感じる余裕さえなかったかもしれない…そんな重傷を負いながらも即死でなかったことが、最後の瞬間まで生きようと足掻いていたことが、そして仮にすぐ引き上げられたとしてももう助からなかったであろうことが、思い出す度に苦しくなる。

 そしてもうひとつ、マロリーは腹部にも大きな傷を負っていた。ザイルに締めつけられた出血痕。それはマロリーがサンディとアンザイレンしたまま滑落したことを意味しているが、結わえたザイルの先はちぎれていた。今のザイルとは質が違うため元々切れやすくはあるのだが、寒冷・乾燥・凍結といった条件が更に命綱を脆くしてしまっていたのだろう。この傷は事故発生当時サンディがマロリーより高い場所にいたことと、恐らくより高い場所で亡くなったことを示唆している。

 

 …などと文字で書くことも出来るけど。写真と映像が閲覧できる状況にあるという事実は、百聞は一見に如かずという言葉を残酷なくらい突きつけている一例なのかもしれない。

 

 マロリーの遺体の写真があるということを初めて知ったのはどういう流れだったかな、狂気山脈のプレイ後にKPが言っていたのだっけ? そうでなければ、関連したことを調べ始めて早いうちに知ったのだったか。

 いずれにせよ、初めて写真をきちんと見たのは図書館で『そして謎は残った』を取り寄せた時だった。今は仕事柄ご遺体を目にすることが多いのである意味慣れてしまったけど、当時は歴史関係の書籍などで稀に目にするくらいで、フィクション以外で人間の亡骸を見ることに少し緊張していた記憶がある。

 でも実際に見た時に恐怖感や嫌悪感はなくて、圧倒的に美しさへの感動が強かった。まだ関心を持ったばかりの頃で、思い入れと言うほどのものもあまり無い時期だったと思う。その姿から最後まで生きようとした登山家の意志を汲めるようになったのは本編を読んだ後のことで、最初の感動だって、今思えば人間の身体が辿り着く先としてこんなに美しい姿があるのかという「人体への感動」に近かったんじゃないかと思う。軽薄な感想だと、今なら思う。

 

 ヒマラヤの情報を発信するネパールのアカウントがこの日、あの遺体の動画を添付したツイートを呟く。何百といいねが付く。いいねが意味するものは多様だと分かっているけど、何となくその何百には加わる気になれなくて見送る。そんなに感傷的になる権利があるのだろうかと疑問にも思う。

 仕事の延長で死亡診断書・死体検案書に関する論文を読んだ時、「三人称の死体と二人称の遺体」といった旨の言葉があった。ちょっとうろ覚えだけど、「赤の他人の死体(敢えて死体と言うことにする)は通常嫌悪すべき対象で恐ろしいものだが、それが親しい誰か、大切な「あなた」の死体だった場合、それは死してなお愛情を傾ける対象となる」というような話もしていた。

 自分はマロリーの遺体を、そしてあの山…あるいは氷河あたりのどこかにいるサンディの遺体を、とても三人称では呼べない。でも会ったこともない、言葉を交わしたこともない、一方的にしか知らない人を二人称の距離へ引きつけることを、図々しく感じる思考がある。こうして自分の中で行き過ぎていると思うほどの感傷が剥き出しになっているのを見つけた時、いつもみっともないと土を掛けて埋める。蛆も湧きやしない!

 それでも殊に5月1日は憂鬱になる。決してお祝い気分にはなれない。

 

 マロリーの遺体の写真が遠征隊により高値で売られ衆目に晒されたことについては散々批判も上がっているから今更自分が大声で喚くことでもないと思うし、エヴェレストに登るというだけで莫大なお金がかかるから売れるものなら高値で売りたいという思考もそれ自体は理解できる。それに椅子の上で情報を漁るだけでなく実際に現地へ赴き、命を危険に晒しながら調査を行ったこと、またその指揮を執り切ったこと、そのような調査遠征を実行するための膨大な準備や苦労…そういったものに対しては、個人的には凄いことだと敬服に近い気持ちさえある。たとえコロナ騒ぎが無かったとしても、今の自分が行けたのはベースキャンプまでだったし。

  写真がばらまかれたことについて良い気持ちはしないし、研究一辺倒の目にもちょっとした傷はつけられているのかもしれない。でもその研究の恩恵にあずかっているのは事実、自覚はあるし感謝もしている。考えを詰めもせず批判の目を向けるのは、他人に都合よく後ろめたさを押しつけているだけかもしれない。

 それでも目にする度に、どうしても言いたいことと自制とが喉の奥でつっかえるような気持ちになる。

 

 5月1日に手に取る花束があるとするなら、そのイメージは夏の訪れを祝うものでも99年の再登場を祝うものでもなく、手向けたい衝動を堪えてぐしゃぐしゃに握り締めてしまった花でしかない。

 

 あなたたちには分からないよ、という感情がずっと根っこにある。でも浅薄な(と感じる)好奇心や死体への興味、別に誰かを馬鹿にしようという考えもないだろう軽率な言葉や推論、お金の動き、つまるところ大衆的ジャーナリズムやサーフィン程度のインターネット…そういったイメージへの敵愾心を持ったところで、自分だって浅いところで顔をつけているだけだという自覚に刺される。自分には分からないよと言い続けている。究極的には当人にしか分からないし、ある部分では当人にすら分からないことなのだから。

 ただ「分からない」でぽんと手放すことが出来ないくらいには思い入れを持ってしまっていて諦めがつかないし、まだ近づけると思っているから、背中を丸めて古いトレースを辿っているようなもの。引き寄せることを恥と思うのと同じくらい、こちらから近づくにも礼儀を弁えるべきだと慎重になっているつもり。でもちょっと深めに手を突っ込むような感覚を覚える探り方をする時など、本当に大切にできているだろうかとひと睨みすることもある。その手は死者の肚を漁る嘴ではないと確信を持てるのか? あれもこれもあやふやなのに感傷を正当化しようだなんて、ひどく無責任じゃなかろうか。

  

 1935年にマロリーの遺体らしき影を見つけながらも、メディアによってその眠りが妨げられることを厭ってひっそりノートンにだけ知らせたフランク・スマイス。

 仰向けで亡くなっていた白人の遺体――サンディの可能性が高い――を見つけ、雪をかけ埋葬したという王洪宝。

 彼らの出会いと行動を思う時、どうしてもちょっぴり救われたような気がしてしまうのだ。

 

 自分が大切に思うものがもっと沢山の大きなものからも大切にされてほしいという考え方は、他者を中心にしているかのような体裁を取りながら自己中心的思考にもなりうる。

 過ぎた感傷も外へ向けて分からないと言いたくなる気持ちも全部図々しくて恥ずかしいくらいで、本当はこんなくだくだと書くべきではないのかもしれない。それを強いて書く必要性も別段ないのだけど、一年後、あるいは二年後、それ以降に、もう少し上手い立ち方が出来ていてほしいと思いながら、今の考えを少し書き留めておくことにした次第。

 ずっと土かけてやり過ごしてきたから、いきなり言語化しようとしても いくつものパーツに分断されていて接続が上手く出来ていないな…というかそもそも恥の意識がかなりあるので読みづらいままにしておきたい逃げの気持ちもある。こういうのはストレートに言語化するより昇華した方が上手く喋れる気がするし、そういった意味でもSTARGAZERには色々な訴えをそんなに遠回しでもない形で混ぜ込んでアウトプット出来るのがセルフセラピーになっているのかな。

 

 あとこれは、もうブログ内でもちょっと触れた気がするけど。

 まだ行方不明のままのサンディの遺体が発見されるべき(されてほしい)か否かについては、アーヴィン一族の中でも意見が割れているという。

 色々と参考にしている Fearless on Everest の著者ジュリー・サマーズ氏はサンディの姉イヴリンの孫、つまりサンディから見て大姪にあたる。彼女の意見は「サンディをそっとしておいてほしい」。美しい金髪に明るい笑顔、永遠の青春みたいなサンディ・アーヴィン、その無惨な遺体をわざわざ日のもとに晒さないでほしいと…審美眼的なものも大きいようだ。

 自分としても、見つからない遺体というのは美しくロマンのあるものだと思う。倫理的にちょっと如何かなという気はするけど、マロリーが死後まであまりにもロマンティックな物語を纏う人だったから、その相棒も同じ文脈に組み込んで考えてしまうのは尤もかと思う。

  自分が彼の遺体について何をベストと考えているのかは分かっているし、順序は曖昧だけど3、4番目くらいのベターまでは挙げられる。でもとても明言なんて出来やしない。

 ただ写真や動画について、マロリーの痛みが繰り返されるのは嫌だけど、きちんと掘り下げ潜っていけば会える、それくらいのところにはいてほしいかな…と思う。見たいでなく会いたいという方が感覚的にしっくり来るけど、これもやっぱり二人称の距離へ引き寄せすぎだと思っている。

 知った時にはもう何もかも過去のことになっていてどうしようもないことと、これから起こり得る過渡期にあることとでは感じ方も随分違うのは多分当然のこと。どうなるのかな…。

 

 ああ全然まとまらなかった、でも今日はおしまい。

 思考を進めようとする時にかかるブレーキの正体をきちんと明かしてやらないことには、ずっと他者のことを考えようとしては自分の感情やブレーキが邪魔になって進まないのかもしれない。でも放棄してはいけないものだと思うから、なるべく早く折り合いをつける方向で片付けたいな。ブレーキみたいな引っ掛かりは思考しているだけならここまで邪魔にならないけど、見える形で言語化するとまったくもって酷い妨げになる。

 

 しかしこんなタイトルをつけたけど、手に取るべき花があるとするなら5/1ではなく6/8だろう。仮定の話だけど手向けの花だなんて、行き過ぎた感傷が祝いと哀悼どちらにより傾くかは、カメラが見つからない限り変わらないのかもしれないね。

 でも個人的に登頂成否の謎は、単純に真相を知りたい気持ち以上に、2人がせめて最高の形で報われていてほしい、命を代償とするに足ると思えるだけの世界を見ていてほしいと、そういうことだ。(だから人よりもカメラのためだけにその眠りを妨げられるのなら、やっぱり悲しく思ってしまう。)

 でも彼らは頂を踏むことが無かったとしても、十分な対価を受け取っていたと捉えているのかもしれない…そういう願いめいた考えは甘すぎて、本格的に山をやる人からは笑われそうだと我ながら思う。ただサンディが口にしていた「最後の一息まで全力を尽くしたい」という願い、彼がマロリーの中に見出し共感したのであろう2人の望みは叶ったのだと、それだけは信じていたい。

 薔薇の花輪なく、ヒナギクも咲かない墓に花を手向けることを何度も考えてしまう。空っぽの柩で執り行われた盛大な葬儀、空っぽの墓標。彼らの身体はずっと、世界で1番高いところに眠っている。なれば星で十分かと考えもする。雪の花という言葉だって美しい、あそこの白は花と呼ぶには酷なほどの吹きつけだけど。自分だったらあの世界に行けるのであれば喜んで虹の谷に永住するけど、他人が同じとは限らない。

 衝動的に握った花のイメージはどこにも行けないままだ。腐ることもなく途方に暮れて、逍遥の中で今年も6/8を迎えるのだろう。いっそ本当に花束でも買ってみたら、何か区切りがついたりするだろうか?

 

(5/2 諸々追記・修正 今日の神戸北部はとても寒い。)