CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

Roll pL/Ray

 "Blood and Sand, Our Beloved Blue Paths!" のタイトルで、遠征中のエピソードを拾ったものを中心とした短篇を集めた連作が出来たら面白いかな…と思って書いていた中の一篇。4/25~27のエピソードから書いたものがあったので公開。サンディの4/25の日記4/27の日記にあるようなことを下地にしたフィクション。

 友人から頂いたカットがとても素敵だったので、そのワンカットから複数の話を作る試みでもあった。それと短くまとめるため2000~3000字ほどで一区切りつける練習を兼ねていたので本当に短い。

 

 嗚呼、我らが愛しき青の旅路よ!

 

  


 

 

 一九二四年四月二五日

 

 砂色の頭が、カーキの背が熱心に摩尼車を見つめていた。異教の文字が刻まれた回転塔が、青い目の前でくるりくるり回されている。このロンブク寺院に興味深いものが多いことは認めるが、専らスポーツと機械を愛するあの青年が異教の僧院で三時間も夢中になって過ごすとは、ノエルには意外なことだった。

「サンディは何を考えているんだろう」

 何気ない呟きを拾ったサマヴェルが笑った。

「どう機械化してやろうか考えているに違いないさ」

 つい吹き出して一緒に笑っていると、噂の人が振り向いた。何の話だろうとばかり、彼は焼けた頬に控えめな好奇心の色を浮かべ、楽しげな二人に歩み寄ってきた。

「いや何、お前があんまり熱心に摩尼車など見つめているものだから、何を考えているのかと思ったのさ」

 教えると、見られていたのが恥ずかしかったのだろうか、サンディは少しはにかみながら答えた。

「何か良いヒントを見出せないかと思ったんです。ほら、僕の専門は随分厄介なじゃじゃ馬相手ですから」

 と、彼は冗談めかして広い肩を竦めた。

「おや、俺たちはてっきりあの摩尼車を機械化しようと考えているかと思った」

「回転の自動化なら出来ますとも」

 ギフテッドエンジニアはけろりと答える。

「でも、それでは多分面白くないかなと」

「簡単すぎて?」

 そう問われ、彼は少し言葉を探したようだった。

「あの車を回すのは人であるべきです。であれば僕の取り組みたい課題は、回転の結果どんな効果を起こすべきかという問題です。そう、たとえば無害な火花をパチパチ散らしてみるとかね」

 そう言って少年は悪戯好きな笑みを浮かべ、割れた唇の激痛に顔を顰めるのだった。

「お前はそんなことを言って、破れた金属の肺を悪魔の息吹だなどと嘯く気だったんじゃないのか」

「あはは。それよりノエル、あなたこそ先ほどはラマ僧たちと何の話を?」

「ああ気づいていたのか。何、僧院の中を撮りたかったのだが断られたよ」

「やっぱり。……」

 それきりサンディは黙ってしまったが、にやにや笑う顔を見れば彼が何をしてきたかは凡そ見当がついた。残る問題は上手く写っているかどうかだけだろう。

 半分空になった酸素ボンベと火花による説得は失敗したが、三人は立派な銅鑼の音に満足して僧院を後にした。

 彼らのやり取りを知ったマロリーの溜息を察したのは、二日後のサンディだけだった。その日の夕刻、彼の寝ているテントへアイゼンの調整という仕事をひと箱持ってきたマロリーは、雑談の中で訊いてみた。あの時、本当は何を考えていたのかと。サンディは質問の意外さに、虚を突かれたようだった。

「あの車を回すだけで加護が得られるのなら、どんなに良いだろうと思っていました」

 二人分のブーツにアイゼンを合わせようと締めながら彼はそう言った。全く以て科学の信奉者たる彼らしからぬ返答であった。だが驚いたことに、突然尋ねられて取り繕う間もなく答えた本心のように思えた。

「冗談だろう。彼らの神像を盗撮する男が?」

 サンディは顔色を変えなかったが、この言葉には内心ぎょっとしたことだろう。彼はマロリーの心情を読もうとするようにじっと見つめ返し、静かに口を開いた。

「本当です。写真は姉に見せたかっただけですよ。あんな立派なもの、なかなかお目に掛かれないでしょう」

「そうだな。ばれて信心深いポーターたちの反感を買う懸念なく済んだのは幸いなことだ、お前の器用さには本当に感心させられるよ」

 皮肉まじりの言葉に、サンディは言い返しもせず俯いてしまった。悪気がないだけに少し可哀想だが、こんなことで遠征が失敗に終われば、彼にとってももっと哀れなことになるだろう。この青年の陽気さは大きな強みだが、楽観的すぎるとなれば瑕でもあった。

「ノエルも随分だが、あまり危ない橋を渡るものではないよ。往路なら猶更のことだ」

「はい」

 返す声は、信頼する教師に叱られる生徒のそれだった。傷をつけないだけの関係性が築けていることを喜ぶ余裕は、まだ一方にしかないようだったが。

「……それより、摩尼車から何かヒントは得られたかな。仕事の役に立たなくても、面白い案のひとつくらいは浮かんでいるだろう。それともあの話はまるきり嘘だったのかい」

 もう説教は終わりだと、マロリーの口元に浮かぶ笑みと向けられる目の温かさに、サンディはほっと小さく息を吐いて笑顔を返した。

「いいえ、嘘なんてひとつも。ほら、片手間の落書きですが……」

 そう言いながらサンディは、乾燥と陽にやられ傷んだ指で、なかなか精密な図と殴り書きのようなメモの書き込まれた紙切れを取り出した。いそいそと浮き立った様子にマロリーもつい微笑み、ちらとテントの外を見やる。ドアの隙から見える、遠く小さな人々の姿。小さな摩尼車を回し、経文の刻まれた摩尼石に祈る背。彼らの信仰は馴染まぬものだが、今は少しだけ快く感じられる気がした。

 

 


 

 

メモ

  • 4/25にサマヴェルとノエルが姿の見えないサンディを探しに行きロンブク寺院でマニ車を熱心に見ている彼を見つけたのと、N:'What is Irvine doing?' S:'I expect he's trying to work out how to mechanize it for them.' という会話を交わした記録があるのは事実(Fearless on Everest, Into the Silence 他)。その後のやり取りについては完全にフィクションで、マロリーがこの件に触れているのも見た覚えがない。
  • 書いといて何だけどサンディはこういう感傷を覚えるタイプじゃないと思う。ただ彼がチベット近郊の人々の信仰とキリスト教について、文字通りの意味で捉えるならややセンチメンタルで純粋な思考を巡らせているように取れる手紙があったので、その辺りの印象を少し混ぜてしまった。該当の手紙も多分敬虔な信仰者の姿勢をちょっと挑発するのが意図するところなので、敢えて曲解していることになる。
  •  英国人隊員たちは基本的に現地の風習(宗教含む)に対し、関心を持ってはいてもあまり好意的ではなかった様子。今以上に差別的だった+WWⅠを経たとはいえ大英帝国がまだまだ幅を利かせている時代背景的なものもあるだろう。
  • ジョン・ノエルは英国がエヴェレストへ入るよりも前にチベットへ潜入、山に接近したことがある。国境警備隊に捕まり送還された。
  • サンディはロンブク寺院にて仏像を盗撮していた。日記には寺院内を撮影したことと現像が上手くいくかを懸念している記述があり、姉への手紙では階段から撮影したと語っている。「おじいちゃんには言わないで!!」