CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

1924.06.12

 

 オデル、ハザード、ヒングストンらがベースキャンプへ戻る。

 

 ベースキャンプではヒングストンによる健康診断が行われた。全員山での戦いを再開できるような状態ではなく、キャンプⅣより上へ登った者は全員心臓が肥大していた。ジェフリーがあれ以上マロリーと共に登っていたら死亡していたかもしれないと言われるのもこれによる。これ以上高所で身体を酷使すれば酷い後遺症を残しそうな状態だった。

 

 ノートンはマロリーとサンディの死亡を知らせる暗号通信を送った。

 "Obterras London - Mallory Irvine Nove Remainder Alcedo - Norton Rongbuk."

 これはパーリの電報局まで使者によって届けられ、19日16時50分にパーリからロンドンへ贈られた。6月21日の朝には、マロリーとサンディが6月8日に亡くなったことをロンドン中が知ることになる。

 

 ベースキャンプにて開かれた会議で、ノートンが根拠のない憶測が広まることを防ごうとした動きが見られる。ノートン・サマヴェル・ブルース・ハザード・ビーサム・ノエル・シェビアは、マロリーとサンディはロープで繋がれたまま滑落死したのだという意見を一貫して主張することで合意した。しかしオデルだけは、二人はキャンプⅥより上のどこかでビバークした際、強風と寒さに晒され凍死したのだと言い張った。

 オデルの主張が当たっている可能性はこの時点でさえ低く、実際マロリーは滑落して亡くなっていた。それでもオデルはサンディの遭難に責任を感じていたし、自分が世話をしていた彼が血塗れになって岩の上に横たわっているのではなく、身体は傷つかないまま、年上の仲間もそばにいる状態で痛みもなく亡くなったのだと信じたかったようだ。

 なお今でも遺体がきちんと見つかって検証されていないサンディは、マロリーが亡くなった後も切れたロープの反対側で生きていて、最終的に凍死したという可能性も残っている(6/8の記事参照)。