CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

1924.06.15

 ベースキャンプにて、余った食料や物資をすべて燃やす。

 

 夕方には隊員とポーターが全員、サマヴェルとビーサムの作った記念のケルンの周りに集まった。高さ90cmの正方形の台座の上に小岩を積み重ねて出来たもので、人の背丈よりも高く、20年代の遠征が生んだ全ての死者の名前が刻まれていた。

 1921年 ケラス。

 1922年 タンケイ、サンゲイ、テムバ、ラクパ、パサン・ナムギン、ノルブ、ペマ。

(1922年はノースコル上でマロリーたちも含む雪崩事故が発生した。ポーターは2名が救出されたが残る上記の面々が亡くなる大事故となってしまう。)

 1924年 マロリー、アーヴィン、シャムシェルプン、マンバハドゥル。

 

 その夜、隊員のうち数名がロンブク寺院を訪れた。

 僧院の祈りの間では、僧侶たちによる祈祷が行われていた。英国人隊員たちの多くはラマ僧たちに嫌悪感を抱いていたようなのだが、ビーサムはこの晩の祈祷のことを「これまでに参加したなかでもっとも感動させられる儀式だったと言わざるを得ない」と綴っている(これが遠征中に参加した儀式としての言及なのか、それとも故国などでのキリスト教の儀式も込みなのかは現時点では分からない)。

 彼の描写によると、暗い祈りの間では何列もの僧侶が暗色の衣をまとい、床に描かれた絵のようにじっと座って無表情に祈りを上げていた。少しだけ入ってくる光が仏像の顔を照らし、天井から垂れ下がる旗の間を縫って下りてきていた。沢山の深い音を出す太鼓にシンバル、笛によって音楽が奏でられ、その高低により空気が振動する。

 ビーサムにとっては何もかも思いもよらないことだった。とりわけ参拝者たちの信心深さは予想外だったそうだ。そこで話されていた言葉は一言も分からなかったにもかかわらず、彼らの信心深さはビーサムの意識に強く訴えかけたらしい。

 

 これが遠征隊がロンブクで過ごす最後の夜だった。

 

 隊がエヴェレストを去る直前、ベースキャンプで撮影された写真(撮影日不明)。よく見る集合写真と比べると、マロリーとサンディがいない空白が目立つ。

 後列左から:ハザード、ヒングストン、サマヴェル、ビーサム、シェビア

 前列左から:ジェフリー、ノートン、ノエル、オデル。