CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

Phantoms of Everest

  エヴェレストの幽霊・怪奇系エピソードまとめ。随時追記。 

 

 

単独登攀を支えてくれる「誰か」(1933.06.01) 

 1924年の次に英国からエヴェレスト登頂を目指す遠征が派遣されたのは1933年。この第四次英国エヴェレスト遠征隊に参加していたフランク・スマイスの体験。彼はイエティの足跡を発見したという登山家の一人でもあり、1936年の遠征ではマロリーの遺体らしき影をキャンプから望遠で見たという手紙をノートンに送っていた。

 さて1933年6月1日、登頂アタックの相棒エリックが体調不良で離脱したため、スマイスはひとり頂上を目指していた。彼はその途上、その場にいない筈の「誰か」が自分と一緒におり、傍に立って見守ってくれている感覚をおぼえていた。

 この存在は強く友好的で、同行することで少しも淋しい思いをせずに済んだし、気分を害されることも全くなかったという。雪に覆われた一枚岩を登攀する局面では、その「誰か」はいつもスマイスを支えてくれていた。あまりにも実在感があるので、スマイスは持って来ていたミントケーキを2つに割り、半分をこの「誰か」へ渡そうと振り返りさえした。 

 この感覚について、スマイスは「私の一部が抜け出して、私の傍に立って自分を見守っているような感じ」「高度の大きなところでの酸素の不足と、一人で登っているための心身の緊張状態とが、その原因として入れ替わっていただけのものであったのだろう。私は、このことを説明としてではなく、ただ単なる示唆として提出しているわけである」と綴っている。なおこの自身の一部が抜け出す感覚については、過去に岩場で墜落した最中に同じような気持ちがしたらしく、「長い距離に渡る墜落を経験した者にとっては、決して珍しい体験ではない」と言い切っている。

 ちなみにスマイスは1924年隊の隊員候補にも挙がっていた。サンディより2つだけ年上で、もしも参加していればきっと良い仲間になっていただろうし、サンディが生きて帰っていれば33年にこの二人がアンザイレンして登っていた可能性もあるのかな……と思ったり。

参考・引用元:フランク・スマイス『キャンプ・シックス』p.273

 

不気味な浮遊物(1933.06.01)

  先の出来事の後、引き返しキャンプⅥ目指して下りていくスマイスは、立ち止まって休んでいる時に奇妙なものを見た。北東の空の中に「二つの暗い物体」があるのだという。それは繋留気球に似た形をしていたので、スマイスは最初、エヴェレストの近くでそんなものが一体何をしているのだろうと疑問に思った。彼はこれを「正しく、酸素の欠乏の為に、私の精神的な機能が衰えている証拠にほかならなかった」と語っている。

 これらの物体の様についてスマイスの記憶はあまりはっきりしないそうだが、「黒々して、鋭い輪郭で空に対して、あるいは雲の背景に向かってだったか、……いずれにしても、くっきりと浮かび上がって見えたことは事実だ」「二つとも球形をしていて、一方はずんぐりとしていて、下に翼のようなものがついており、他の一つには茶瓶の口を思わせる、くちばしのような突起がついていた」「中でも奇妙に思われたのは、それらが、まるで恐ろしい生命でも蔵しているかのように、膨れたりしぼんだりして、明らかに脈を打っていたことだった」となかなか不気味な証言をしている。最後の拍動だが、これはスマイスの心臓のそれよりずっと遅かったという。後々のスマイスの推測では、これは目の幻覚であり、明瞭な拍動とは彼自身の拍動に同調していたのではないか、と"思ったりもしている"らしいが、脈のずれについてわざわざ言及した直後のことなので、きっとここでは書かなかった様々な推測が巡らされたのだろう。

 スマイスはこの繋留気球を見てから頭が正常に機能し始めたようだと語り、これを面白がると同時に自分が作り上げた妄想に違いないとして、一連のメンタルテストを自身に課した。はじめに視線を逸らしてみると、例の物体は彼の視線につれて動くことはなかった。しかし再び視線を北東に戻すと依然空に浮かんだままだった。また視線を逸らせると、彼はもっと確かなメンタルテストのつもりで、いくつかの峰や谷や氷河の名を上げて同定することにした。プモリなどの嶺やロンブク氷河など、取り囲む地形は容易に見分けられたが、再び振り返って見ると繋留気球めいた物体はやはり前と同じ位置にあった。

 それでスマイスはこれ以上のテストに見切りをつけて下降を再開したが、出発しようとしたその時、突然雲がわいてきて、あの物体は霧に隠れるとぼんやりした影となり、やがて完全に包まれ消えてしまった。霧はほんの数秒立ち込めただけですぐ晴れ上がったが、もはやあの物体はどこにも見当たらなかった。

 これは、マロリーとサンディが最後に泊まった1924年のキャンプⅥと北東稜線の肩とのほぼ中間地点で発生した出来事だった。高度を考えると、スマイスが繋留気球を見た場合、その背景は空ではなく雲か山に突き当たっていたはずだという。ゆえに霧・山・影などといったものの効果が想像によって強調された結果あのようなものが見えたのだと考えているようだが、「いずれにしても、まことに不思議な薄気味の悪い体験ではあった」と結んでいる。先の「誰か」とは随分印象の違う出来事だったようだ。 

 参考・引用元:フランク・スマイス『キャンプ・シックス』p.275-276

 

死のビバークを支えた「第三者」(1975.09.24ほか)

 1975年9月24日、非常に困難なエヴェレスト南西壁からの初登頂を果たしたのがドゥーガル・ハストンとダグ・スコット。偉業を成し遂げた二人だが登頂時刻は遅く、デスゾーンでビバークを強いられた。身体が順応できず衰弱するばかりなので長時間の滞在は御法度とされる高度、そして当然厳しい寒さの中で、テントもない環境のもと一晩を越せという絶望的な話である。

 二人は雪洞を掘って身を寄せ合ったものの、酸素はすぐに使い果たしてしまい、食料はなく、燃料も間もなく尽きるという状況に陥り、生きて朝を迎えられる可能性は非常に低かった。ところがこの雪洞の中で、彼らは第三者の気配を感じたという。この「第三者」は2人と体温を分け合った上に、温もりを保ち、生き延びるための助言や提案をしてくれた。ハストンとスコットは無事に朝を迎え、生きて山を下りた。

 ハストンは36歳の時に雪崩に巻き込まれ亡くなったが、スコットは昨年12月に亡くなるまで長生きした。訃報を知らせるニュースに、南西壁登頂という偉業を成し遂げ、ロマンチックな出来事を経験した人物が同じ時代を生きていたことに不思議な感覚をおぼえ、会ったことも無い彼の死に寂しくなったりもした。コロナ禍もあってWeb講演もされていたそうだし、聞きに行けたらよかったな。

参考サイト:10 Mysterious And Creepy Events On Mount Everest

 

登山者を励ます親切な幽霊(1975.09.24ほか?)

 エヴェレストの頂上を目指す大詰めの段階にある登山者を励ましてくれる幽霊が出るという話。一説にはその幽霊の正体はサンディ・アーヴィンだとも。

 書籍だと朝里樹『世界現代怪異事典』や同氏監修『大迫力!禁断の都市伝説大百科』『世界の都市伝説大事典』に「エヴェレストの幽霊」の項目で記載がある。出典はピーター・ヘイニング『図説 世界霊界伝承事典』。後者では先述のハストンとスコットが謎の「第三者」に助けられた事例を挙げている。ただこの幽霊の正体をサンディとする説のソースが未だ見つけられていない。二人のどちらかの証言かと思って75年遠征の報告も買ったが恐らく記載なし。

 ただこちらの記事でも75年の事例とサンディを結び付けているので、彼らの発言や文章を探せばソースにあたるものが見つかりそうな気がする。訪問者は1924年の先駆者アンドルー・サンディ・アーヴィンの霊であり、イギリス人のお仲間に英国式の礼儀正しいご挨拶をするため立ち寄ったのだ!

  ハストンとスコットのビバークは登頂後の出来事であるため「登頂を目指す大詰めの段階」と言うのは違和感があるけれど、これは書籍著者たちがそこまで細かに掘り下げていないだけなので問題ではないはず。

 寧ろ不思議なのは、75年に現れたこの「第三者」をサンディとした理由。この時点ではまだマロリーの遺体も見つかっていないので、謎の具合(≒幽霊として現れそうな気がする不明瞭さ)やシェルパの伝承における地縛の条件は殆ど同じはずなんだよね。サンディは登山に関してほぼ素人なので、危険なビバークを生き残るためのアドバイスをくれる像としてはマロリーの方がしっくり来ると思うのだけど……声が若かったとか、随分陽気そうだったとかだろうか。人見知りな幽霊も見かねて助けてくれる光景を思うと心温まるような、切ないような、そんな想像。

 エヴェレストで苦しい状況にある時寄り添ってくれる存在については、ラインホルト・メスナーなど様々な登山家が報告している。働き者で親切で寂しがり屋なのかもしれないね。

 それにしても夢があるなあ! 謎の誰かに会うためエヴェレストまで行きたくなってしまう話。

 おまけ的な話ですが、この『世界の都市伝説大百科』と『世界の都市伝説大事典』は貴重なサンディの挿絵が見られる本です。しかも幽霊、更に前者はカラー。

 こんなの洋書でも見たことないけど、まさかこの人が怪奇分野の児童書に…というのは結構興味持って登山本筋からちょっとずれた方まで触りに行かないと見つけづらいと思うので、世の中には他にもこういう思いがけないところに存在している彼らがいるんじゃないかな~とうっすら希望抱いたり。

 

飢えた黒い影・エヴェレストの地縛霊(2004.05.24)

 サウスコルの岩山でシェルパペンパ・ドルジェが出会った怪異。立ち止った彼に向って黒い影のような霊たちが両手を伸ばし、何か食べさせてくれと頼んできたのだという。

 ドルジェの推測では、それはこの山で遭難死した登山家たちの魂だろうという。というのも、多くのシェルパはエヴェレストで亡くなった者の霊は遺体をきちんと埋葬しなければ鎮まらないし、山を離れられないと信じているのだ。

 この伝承、恐ろしくて悲しい文脈だとは思うけど私はとても好き。今でも古い先人に会えそうな気がするし、星空を仰ぐ幽霊たちのイメージは美しいから。ただそれが飢えや苦痛とセットになるというのなら本当に悲しくなる話だと思う。百年前の幽霊は、パック入りの栄養ゼリーにどんな感想を抱くだろうか?

参考サイト:10 Mysterious And Creepy Events On Mount Everest

 

ジェイク・ノートンの話(2020.12.05)

 日本山岳会開催のzoom講演で、1999年にマロリーの遺体を見つけた遠征隊クライマーのひとりであるジェイク・ノートンの話。

 この講演では彼への質問を受け付けてくれており、自分はエヴェレストで幽霊に会ったと思ったことはあるかという旨の質問をした。この与太めいた質問への解答は「自分は幽霊を見たことはないけど、あの山では先人や幽霊の存在をどこかに感じながら登れる」ということだった。

 そんな話は嫌いだし調べようとも思わないとか、笑われたり怒られたりといった反応を引き起こすのも分かるんだけど、「いると信じたい」と話してくれる人のいることが嬉しかったな……という思い出話。

 今でも百年前の大先輩に会えるかも、なんてロマンを抱きながら登れたら素敵だよな~と思うわけです。

 

イエティのこと

 絶対幽霊話よりこちらの方が有名だし関心を呼びそうな気もするけど、足のない話の方が好きなので全然知らない。ヒマラヤに雪男を探すはフィールドワークの報告と物珍しい写真が多くて、雪男以外の話題も非常に面白い一冊だった。

 UMA研究よりも民間伝承で語られるものの方に興味があるので、そちらの概略。

 イエティと一括りにされることが多い、いわゆる雪男として思い浮かべられるUMAだが、大型の雄イエティと小型の雌ミティとで明確に区分する現地文化圏がある。この区分や厳密さはネパールとチベットシェルパか否かでも変わるらしい。イエティは精霊でミティが人間も襲う危険なものとして認識されるなど、分けるところではきっちり別物として扱われているそう。

 茂市久美子『ヒマラヤの民話を訪ねて』にはヒマラヤ近郊ネパール側の民話が沢山集録されており、その中に雪男の登場する話もいくつかある。彼女の昔話集めの旅で聞いた中では、イエティは須らく悪役だったという(恐らくイエティとミティをあまり区別しない文化圏だったのだろう)。

 ネパールの幽霊は足が後ろ向きについていて、中でも身重の幽霊を見たものは死んでしまうという話があるらしい。それからチベットにいるというテモと呼ばれる熊の一種(イエティと同一視されている可能性がある?)が、立って歩き、手を使え、主にモグラを食べ、黒い岩に洞窟を掘って暮らし、人間的な感情を持つという。イエティは足が後ろ向きについているとも、踵がないともいわれる。そして何となく人間臭くて、間が抜けていて、いつも村人にやっつけられる存在だ。実在や正体を問うのも面白いけど、こういう伝承の中での姿を探すのも楽しいもの。

 チベット語に「頂上」を指す言葉はない。彼らは20年代に何故イギリス人たちが命懸けでチョモランマの頂を目指すのか理解できず、あそこには黄金があって、イギリス人たちはそれを狙っているのだろうと想像したという。そこに繋がる感覚なのかな、チベットでもネパールでも、今のところヒマラヤの高峰の頂に何があるのか/何がいるのかという話が見つからない……読んだものが少なく削られた話は多いので、皆無だなんて断定はとても出来ないけど。

 

タルガ村のイエティ

 ある村のそばに雪男の群が住み着いており、人間たちが昼に畑の作物を刈ると夜にそれを真似し、食べてしまうので村人は困っていた。
 そこで村人たちは一計を案じ、水を酒のように飲み、刃のない剣で大喧嘩を演じ、死んだふりをした村人を川へ捨てる演技をした。そして水を毒酒に、剣は刃のついたものにすり替えておいた。

 雪男たちは夜になると村へ降りてきて、毒酒を飲み、殺し合い、死体を川へ投げ捨て、生き残りも毒が回り死んだ。以降村は平和になったが、ただ1匹身重で留守番していた雌がその惨事を見ており、人間の真似をすると恐ろしいことになると山奥へ籠った。後々偶に現れる雪男はその子孫である。

参考:茂市久美子『ヒマラヤの民話を訪ねて

 

勇敢な羊飼い

 チベットの東にあるというカムという土地では、カンバ族がヤクを商って暮らしている。しかし西の国へ商いに行く道中の暗い谷を通ると、時折何者かに襲われてしまうのだった。それも荷物は奪われず、人とヤクばかりが殺されていた。犯人は盗賊ではなく山に棲む魔物だろうが、誰も正体は知らなかった。

 ある日若い羊飼いが、羊たちが何かに怯えているのに気がついた。崖から落ちたものがいるのではないかと谷底を覗き込むと、毛深くて髪の長いイエティがいた。

 村人たちは退治すべきだと言うものの、怖気づいて誰も行動しない。仕方なく若者はひとりで谷へ出かけ、酒盛りを始めた。酒の匂いをさせながら大声で歌っているとイエティが現れた。若者は通り道に掘っておいた穴に隠れると剣を抜いて待ち受け、イエティの荒い息遣いと大きな黒い足が穴の上に掛かると、その腹に剣を思い切り突き刺し殺した。それからというもの、暗い谷で人が襲われるという話は聞かなくなった。

 一方翌日になって若者がイエティのねぐらに行ってみると、中には宝物が山と積んであった。これは神様が勇敢な羊飼いにイエティ退治の褒美としてくれたもので、若者はこれを持ち帰り、村一番の金持ちになった。

参考:茂市久美子『ヒマラヤの民話を訪ねて

 

 イエティを見た女性

 ゴモンという村の女性の体験談。

 冬のある日、1人で秋に掘っておいたじゃが芋を取りに来た彼女は、外で人が叫ぶような声を聞いた。不思議に思い小窓から覗くと、明るい月の下を1匹のイエティがやって来るところだった。ちょうど積もったばかりの雪を、イエティは腰まで埋まりながら掻き分け掻き分け小屋まで来た。そして小屋の角に背中を押しつけ暫くごしごし掻くと、またもと来た道を帰っていった。そのイエティは大人の肩くらいの大きさで、頭は三角にとがっていた。女性は灯りを消し戸締りをして息を殺しじっと丸くなっていた。この後病気で寝込み、大勢のラマに祈ってもらってやっと回復したという。

参考:茂市久美子『ヒマラヤの民話を訪ねて

 

年老いた鬼の話

 チベットの山奥に年老いた人食い鬼が棲んでおり、人々から恐れられていた。

 ある日女の子が家に一人でいると、鬼がドアをノックした。少女がお母さんに開けてはいけないと言われたのだと叫ぶと、鬼は自分は母親だと名乗る。確認のためドアの穴から腕を出させると毛むくじゃらだったので、少女はそれが母親ではないと分かった。鬼はランタンを貸してもらうことと引き換えに、彼女の言う通り去ることを約束する。しかし鬼はそのランタンの火で腕の毛を燃やし、また母親のふりをしてドアを叩いた。滑らかな手に騙された少女はドアを開けてしまい、鬼の姿を見た彼女は走って屋根の梁の間に隠れた。

 鬼はすぐ少女のにおいを嗅ぎつけたものの、屋根の梁には届かない。どうやって登ったのか尋ねると、少女は針の上に針を重ねたのだと答えた。鬼はそうしたが登れない。本当のことを言わなければ骨を折ってしまうぞと嘯くと、今度はコップの上にコップを重ねたのだと答えた。そこで鬼もコップを重ねたがやはり登れない。本当のことを言わねば生きたまま食ってしまうぞと脅されて、怖くなった少女は樽の上に樽を重ねたのだと正直に答えてしまった。鬼は積み上げた樽を登り、少女を捕まえ、山の中の洞穴へ連れ帰った。

 鬼に娘を奪われたことを知った母親は、食料を用意すると娘を探しに出かけた。道中でお腹を空かせた狐と狼に食べ物を与えると、彼らはお返しに娘を探すのを手伝うと約束した。二匹が見つけた鬼の洞窟の前には、羊がたくさんいる檻があった。

 母親が狼に羊を驚かしてもらうと、音につられて鬼が洞穴から飛び出してきた。鬼が狼に石を投げつけると、狼は死んだふりをして倒れた。この狼は後で食べようと考えた鬼は、洞穴の入口でこそこそしている狐を見つけた。お前なんか一口で食べてしまうぞと唸り、鬼は狐を追いかけた。狐が鬼を森の中へ引きつけているあいだに、母親と狼は袋の中で縛られていた少女を見つけ、急いで立ち去った。

 狐を追うのに飽きた鬼が戻ってくると袋は空になっており、彼は自分が騙されたのだと気がついた。怒り狂って復讐のため飛び出した鬼は、崖っぷちで籠を編む狐を見つけた。俺を騙したな、食ってやると吼える鬼に、狐は動こうともせず、自分は鬼が探している狐とは違う、自分は籠を編む狐だと答えた。鬼は怪訝な顔をしつつ、ならば籠の作り方を教えてくれと言った。狐は半分完成した籠の中に鬼を座らせ、鬼が中に閉じ込められるまで籠を編んでいった。そしてその籠を崖から転がしたので、この鬼は死んでしまったのだという。

 こちらはA World Full of Spooky Storiesという洋書の絵本に載っていた話。ちょっと狼と七匹の子やぎにも似たやり取りがあったりする。鬼と訳した通り The Old Ogre のタイトルで紹介されているので、イエティのカテゴリに入れて良いかは微妙かも。ただ山間の怪談カテゴリでチベットの話として出ており、チベットで大型・知能がある・二足歩行するといった鬼としてイメージされる特徴を備えた偉業といえば凡そ雪男の類と思われるのでここに入れた。出典はFolk Tales of Tibet。この1984年版から引いてきたとのことだが、新版が出ているのでそちらはもう少し手に入れやすい。