CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

1924.06.07

 ここからはもうマロリーとサンディについては日記も写真も残っておらず、彼らの動きについてはマロリーの短い手紙や状況からの推測が中心となる。

 

 1924年6月7日も好天だった。モンスーン前に訪れることの多い10日間の晴天、その最中にあったのである。隊員たちは度重なる撤退もあってモンスーンの到来を危惧し焦っていたが、実はこの年のモンスーンは例年より遅かった。キャンプⅣにいたマロリーたちは知らなかったが、6月5日にキャンプⅢのジェフリー・ブルースのもとへ「モンスーンがマラバール海岸に達したが、ベンガルに及ぶのは例年より遅くなる見込み」との知らせが届いていた。彼らの心配は杞憂で、練り上げた計画を取り下げる必要も、酸素の使用を放棄する必要もなかったのだ。

 

 誰もが間もなく遠征が終わることを理解していた。昨日ノートンを下ろしてきたヒングストンはキャンプⅢで静かな一日を過ごし、酸素が予想以上に有効ならば別として、個人的にはマロリーとサンディの成功にあまり望みを持っていたいことを書き記した。

 既に各キャンプの撤退準備が始まっていた。隊は疲労と風寒で消耗しきっており、一週間後には(マロリーとサンディを含め)全員山を下りているはずだった。ヒングストンが思うに、それを残念に思う者もいないであろう状態だった。

 

 とはいえ、最終キャンプとなるキャンプⅥへ登ったマロリーとサンディにとっては明日こそがクライマックスだ。

 7日のうちに、ポーターがオデルと、撮影技師のノエルに宛てたマロリーの手紙を届けに来た。

 

 オデルへの手紙はこんなものだった。

「オデルへ、随分散らかしたままにしてしまって本当に申し訳ない――ウンナ・ストーブが最後の瞬間に斜面を転げ落ちてしまった。明日は必ず、暗くなる前に撤退できるようにキャンプⅣに戻っておくように、僕もそうするつもりだ。テントにコンパスを置いてきたらしい――お願いだから見つけ出しておいてくれ、いま手元にない。ここまでの二日間は90気圧だった――だからおそらくボンベ二本を持って行く――しかし背負って登るにはひどく重い。うってつけの天気! ジョージ・マロリーより」

(訳文は『沈黙の山嶺』より)

 

 もう一通は、ファイナルアタックの様子を撮影せんと試みるノエルへの短いメッセージだ。マロリーの綴った言葉としては、現状ではこれが最後のものとなる。

 

 

「親愛なるノエルへ、

 明日(8日)は晴天を期して、早めに出発すると思う。ピラミッドの下にある岩棚を渡るか、スカイラインを登るか、いずれにせよ私たちの姿を探し始めるのに午後8時で早すぎるということはないだろう。

 あなたの友、G.マロリー」

 ※午後8時(8pm)は明らかに午前8時の誤記。

 ※こちらは自前の訳です。

 

'Dear Noel,

 we'll probably start early to-morrow (8th) in order to have clear weather. It won't be too early to start looking out for us either crossing the rock band under the pyramid or going up skyline at 8pm.

 Yours ever, G. Mallory'

 

 夜、サンディはマロリーに酸素ボンベの圧力を最終確認するよう頼んだようだ。マロリーは先日のステラからの手紙の封筒裏に数値を書きつけており、4本が110、もう1本が100だった。

 そしてマロリーとサンディは酸素を吸いながら眠ったはずだ。サンディはありあわせのものでT型分岐を作り、アタックには持って行かないことになった一本のボンベからマロリーと一緒に酸素を吸っていたようである。キャンプⅥという名の岩場にしがみつくようなテントはそれだけ狭いもので、180cmと180cm台半ばはある大柄な男性2人が収まれば、酸素ボンベを2本もテント内へ入れる余裕はなかったのだろう。(『そして謎は残った』参照)

 

 今日でマロリーの言葉も最後になった。

 いよいよ明日、運命のファイナルアタックを迎える。