CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

大山日記/山と骨

 身バレが若干気になってあまり詳しく触れずにいたのですが、引っ越して関西を離れたので大山の簡単な記録と書きかけのまま終わりそうな怪談風短篇の安置。

 

 

一回目、冬の大山(2021.1)

 21年1月25-26日と引越し直前の22年6月13日、鳥取岡山県境にある大山へ登ってきた。標高1,709m、中国地方最高峰で、自分の脚だと夏なら神戸から公共交通機関を使っても日帰りできる位置。

 素晴らしい山だけれど、いかんせん日本海に面しているため標高の割に積雪量の多さや天候の荒れ方が厳しく、雪山としてやるには背伸びしすぎたなあという反省の残る山。

 

 最初に登った時は、天候が崩れなければ山頂にある小屋(夏は売店も営まれるが冬は無人)に二泊する予定でいた。トイレは使えるとはいえ厳冬期の無人小屋泊、それまで山で眠るのは夏の有人小屋ばかりで、トラブルから当日延泊が決定した時以外は食事もお願いしていたので、荷物の多さが一段階変わっていた。

 当日の日中はほぼ快晴無風。森林限界を超えるとぐっと冷え込むが、樹林帯を超えるまでは少し暑いくらいだった。溶けた樹氷がしゃらしゃらと音を立てながら降りそそぎ、五合目付近でアイゼンを履くあいだも絶え間なく降り続けては襟ぐりから背筋へ入り込み火照った肌を冷やしてくれた。

 重い荷と、それを背負って登るにはきつく感じる斜面をコースタイムより随分遅いペースで登り、小屋にザックを置いて一息ついてからアックスを手に夕暮れの景色を楽しむ。人の姿もまばらで本当にいい黄昏時だった。

 雪山の日没や夜明けは本当に美しい。薔薇色の光と雪に落ちる蒼い影が大好きだ。

 宿泊した無人小屋。泊まる予定で登ってきたという方とは会ったが予定変更したそうで、この日一晩まるまる泊まったのは私だけだった(この方が全身アークテリクスだったので、狂気山脈を思い出してちょっと楽しい気分になった)。一年前に改装されたばかりの綺麗な小屋で、二階に銀マットと寝袋を敷いて休ませていただく。あまりにもピカピカなものだからちっとも妖怪なんか出そうになくて、ほっとすべきなのだろうが若干肩透かしを喰らったような気さえした。

 ところで大山というけれど、実際に登った山頂は一番高い頂ではなくそのすぐそばの弥山という山。最高地点へ至る稜線は崩落が酷いため、少なくとも夏は立入禁止となっている。当時はそのあたりの事情を詳しく知らなかったのと、マップ上立入禁止区域になっているところへ入って万が一滑落なんかしたら迷惑もいいところなので踏み入らなかったが、トレースはしっかりついていた。上の写真で奥へと延びる尾根がそれで、手前から剣ヶ峰(1,729m)、槍ヶ峰(1,692m)。

 夕暮れを楽しんでいた人たちも全員下っていき、自分だけになってからは舟をこぎつつひたすらお湯を作り、無理やりお茶を煮出し、生煮えめいたラーメンを噛み、合間合間に表へ出ては貸切状態の夜の山を満喫する。よく晴れた空に広がる星、ゆらめく街の灯とえぐるような美保湾の黒いカーブ。自分以外の人間がそばにひとりもいない嬉しさ。贅沢だ。

 切株を使いながらスマホの長時間露光で無理やり撮った夜の山。
 よく晴れて月も丸かったので、ライトがなくても雪に自分の影が落ちるくらい明るかった。星を見るには向かないけれどいい夜。大山は電波が繋がるので母へ簡単に連絡し、次は夜明けを見るために就寝。
 …が、あまりにも寒すぎ+銀マットの固さに不慣れでなかなか寝つけない。手足が冷たすぎて痛み、マグマカイロを靴下に突っ込んで温めることでようやく疲労も相俟って浅く眠る。

 そして迎えた朝は、よく晴れて美しい朝焼けを拝めたものの風速20m/sと台風ばりの強風。しかもうっかり落としたスマホが凍りついた山頂をするする滑り落ちていき、沢筋へと消えてしまい回収不能に。電波が繋がっていて登頂後に何枚かTwitterやLINEで送っていたおかげで初日の写真データは低画質ながらも残せたけれど、朝陽は記憶の中にしか残らなかった。

 天候が崩れそうだという話もあり日程を短縮し、心配してお声がけくださったガイドさんや他の登山者の方と下山することに。その中でアイゼンのコバが外れたり、急勾配のアイスバーンで刃がきちんと刺さらないまま次の足を浮かせたせいで滑落したりと随分やらかした。幸い顔を擦り剥いたり軽い突き指をしたりした程度で済んだものの、総じて見通しの甘さと背伸びのしすぎが目立ち、非常に反省の多い山行となった。急遽下山することになったのもあるが、カロリー不足でへろへろ気味だったのも一因だろう。

 

 対外的にはここで切り上げるべきなのだろうけれど、本音を言うとこの山行はすごくすごく楽しかったし、思い返すことの多い山行のひとつだ。

 滑落したというのは危ないことだし、よくよく反省すべきだと理解しているし、しているつもりだ。でも滑落しうるような環境の山に登った歓び、ひとりで過ごす雪山の頂という報酬、擦り傷程度の代償で滑落と言う経験を得られた幸運(「滑落で死ぬ」経験は流石に今辿るわけにはいかないけど滑落という経験自体は実感が欲しくて、それこそ滑落停止訓練でもものすごく熱心な生徒になっていた)、きちんと滑落停止できたという満足感、そういったものを得られて「よかった」が遥かに勝ってしまう。

 「手間をかけさせたり心配をかけたりして申し訳ない」「救助を呼ぶような事故になっていたら大変な面倒だったし、保険に入っていてもそういう事態に陥るべきではない」という他人を煩わせたこと・煩わせていた可能性への肩身狭さはあるけれど、自分の実感として怖かったとかやらなきゃよかったみたいな気持ちが全然ない(俯瞰した時やるべきではなかったとは思っている)ので、理屈に感情が追いついていなくて薄っぺらで申し訳ないなあ…と未だに思っている。反省はしているのだけれど。

 こういう時にマロリーが自分の能力を超える登山をして事故を起こす人間を嫌って手酷く非難していたことが効いてくる。理屈で自制できる範囲のことだけど、理屈をすっ飛ばして感情に効くのはこっちだったりする。

 この自分だけで完結する範囲でいえば全く悔恨がない薄っぺらさは度々弁明してしまっているのでこのくらいにして、今回はもう少し好きな方を書き留めておきたい。

 地理・経済・時間的に雪山へ通うのが難しく大して経験を積めていないのに言うのもおこがましいけど、夏山より冬山の方がずっと好きだし、もっと経験を重ねたい。

 冬山、というか厳冬期の森林限界超えガッツリ雪山に登りたい理由は色々あるけど、まずマロリーやサンディたちの見た世界への解像度を少しでも上げたいから。無論彼らのやったエヴェレストと自分が登れるような雪山は全然較べるべくもないのだけど、まずもって雪を歩いた経験が物凄く少ないので、雪のある山というだけでも学習初期みたいな解像度の上昇がある。雪を踏み、アックスやアイゼンを使い(彼らは鋲靴の方が重宝したけどね)、実感として"重い"荷物を背負いながら登ること。スケールダウンした追体験を求める気持ちは常にあって、一番近くに感じられるように思うのが雪山だから。この大山行では無人小屋を利用したのでテントを張る苦労はなかったけれど、初めて雪からお湯を沸かす経験もできてよかった。

 あとは個人的な体質や気持ちの問題で、暑いのがとても苦手で水分を多く摂る方なので夏山はかなり標高が高いところへ行かないとバテバテだったり、水だけで荷がずっしり重くなってしまったり、万が一水が切れた場合のことが気にかかったりする。虫が好きになれないし、雪崩や滑落で死ぬのは受け入れられるけど動物とのバッティングが滅茶苦茶怖いので、クマは冬眠に入っていて虫もほぼ飛んでいない、動物がいても視界が開けているので好天である限りはまず突発的な遭遇が発生しない状態が好ましい。

 雪山は死んでなんかいない。ヒマラヤ極高所などはともかく、大山くらいだったら春になれば雪は解けていき、隠れていた木々や草は芽吹いて花が咲く。それを繰り返すのだから、生命体がいるかという話でいえば眠っているかもしれないけど死んでなどいない。でも雪と氷に覆われ森林限界を超えた頂は、風の音と自分の呼吸や拍動、足音、身じろぎした時にすれるゴアテックスの鳴る音くらいしかしなくて、本当に静かだ。哲学的な問いはさておき、生物として活動しているものが聞こえる範囲で自分しかいないのは本当に良い。自分を排除するのは物理的に不可能だし、これ以上は精神的に詰めるだけの状態。そして活動する生命体の少なさは、自分の感覚だと清潔さに直結する。厳冬期、ひとりきりの凍った頂は、とても清潔で静かな世界だ。限りなく雑音が少なくて、気持ちが軽くまっすぐになる。

 それがとても心地よくて、でもきっとマロリーたちの登って息をしていた世界とは乖離しているなと思う。仲間との協力とか、瑞々しい自然への愛情とか敬意とか。愛情や謙虚さという観点からいえば、きっと真逆の場所にいる。より近い追体験を求めるなら思考を変えるべきだと思うけど、今年の冬山でもそれは変わらなかった。今の思考と嗜好が自分らしい気はするけど、今後変わるだろうか。

 

 日記を書き留めたい気持ちと絵を発散したい気持ちが追突起こしていたけど既存キャラクターを代役に立てた実録みたいなのはあまりやりたくない、せっかちすぎた…。

 夜、小屋の一階で新雪のブロックを溶かしつつヘッドライトにカバーを被せた簡易ランタンで灯りをとりながらお湯を飲んでいた時の印象。
 浜松市京都市→神戸市と積雪がレアイベな地域で生まれ育ち暮らしてきたので、窓の外まで雪がぎっしり積もっている見え方だとか、雪が音を吸ってしまって他に生物の気配が全くない静けさだとか、新鮮に感じる要素が多くて印象的だった。

 

二回目、夏の大山(2022.6)

 二週間ほど前、6月13日に再度大山へ向かった。直接的なきっかけは会社のえらい人が登山好きで、ある年の5月末に登った大山で見た山頂部が素晴らしかったから是非にと熱弁してくださったこと。ちょうど霧が晴れた瞬間で、露に濡れた若葉のきらきら輝く様が素晴らしかったそうだ。僕がまた一段と登山を好きになったきっかけだとまで言われたら行きたくもなる。引越しを一週間後に控えてバタバタしていたので悩んでいたものの、結局心残りになるのが嫌で行くことに。

 そしてこの日の目的はもうひとつ、21年の山行で自分が落ちた地点をはじめ、あの日見た景色が夏だとどんな風なのかを見ておくことだった。落ちて死んだ世界線の自分の墓参り?現場検証?と思うとなんだか面白い。他人相手ではとても考える気にもならないけれど、自分相手なら不謹慎なブラックジョークもやりたい放題。

 そんなわけでちょっと親には言いづらいような目的も抱えつつ登り始めたのだが、あまりにも階段が長すぎて想定していたよりも随分キツかった。普段足があまり上がっていないのだろうね、階段苦手! 階段が長いとは聞いていたけれど、まさか山頂付近の花畑スロープまで99%階段とは思わなんだ。今回なかなか寝つけず睡眠不足が酷かったのを加味しても、冬の方がスロープ状になっていて楽かもしれない。

 冬にアイゼンを履いたのはたしかこの樹の下だった。しゃらしゃら樹氷が落ち続け、時々帽子の上にかぶさるような場所。

 それにしても平日なのに思っていたより人が多く、しかも大人数グループ複数とかち合ってしまったせいで騒がしく、おまけにラジカセ持ち込みでずっと音楽を流している集団まであったので、登りは本当に気が滅入ってしまった。あまり健全なことではないかもしれないけど人が嫌いで登っている部分も大きいのに、ずっと人の気配と声があってしかも興味のないポップスまで流されたら台無し感が強い。とはいえそういうものは全部自分の我儘や傲慢さなのは分かっているので、登りながら反芻するうち不満は自虐めいた内省に変わっていき、避難小屋で休憩する頃にはかなり気分が落ち込んでいた。

 避難小屋からの景観は冬との対比が最も分かりやすいポイントのひとつ。冬にここでサラダチキンを齧りながら水分補給した時もかなりきつかった記憶がちゃんとあるけど、騒がしさと疲労と空の重さとで冬の恋しさばかりが募ってしまった。

 その後も登り続け、やっと階段が終わるとスロープが敷かれた穏やかな登りになる。

 低木と草花ばかりで視界は開けているのだけど、その緑の層がすごく厚く感じられた。高山植物ばかりなので下界で見る草木ともだいぶ印象が違う。「もさもさ」という擬音がしっくりくる様だった。

 高山植物は見ていて楽しいし、この景色それ自体は面白いものだった。でも先に冬の真っ白で無機的な山を見ていたせいか、この厚く柔らかい緑に覆われた山肌を見た時、率直に言うとグロテスクな美しさだと感じた。腐海を連想したあたり、綺麗な屍体に根を張り蔓延るようなイメージを抱いたのだと思う。ホラーめいたその発想は自分は好きだけど、なんだか山に失礼なようで後ろめたさもあった。

 山頂小屋。小屋内では売店が開かれているが、冬のしんとした無人小屋の記憶だけを残しておきたくて立ち寄らないことに。冬は左に見えるV字の筋へスマホが吸い込まれて行ってしまった。分厚い氷雪に覆われる冬と違い、夏は植生保護のため敷かれた遊歩道から外れられないので捜索不能。小屋裏は工事中で、お昼休みに入るまで山頂ではドリルの音が響き渡っていた。感謝の気持ちと一緒に落胆が酷くなっていくのが申し訳なかった。植物も虫も人間もとにかく生き物の気配や音やいること自体がノイズに感じられて、物凄く自分勝手で感性の乏しいことをしていることにますます落ち込む。

 山頂碑越しに。冬は碑の向こうまで進めるし、行こうと思えば剣ヶ峰・槍ヶ峰まで行けるけど夏はここまで。冬の方が自由な印象が強まっていく。

 登頂したものの元気がないままで、しょぼくれながらおにぎりひとつを流し込み、写真を撮って回復したらさっさと下りることに。

 滑落した場所やらアイゼンコバの外れた場所やらを気にしつつ下りていく。

 確信は持てないけど多分アイゼンコバが外れたのがこの辺りの急勾配で、

 滑落したのがこの辺り、左斜面寄りで滑ったんじゃなかったろうか。
 断言できるくらいの確信が持てればよかったけどそこまでは至れなかった。まあ警察の現場検証ではないのだし、自分がこうだろうと思ってそうだろうと適当に納得しながら物語を見ていくような勝手をしても良いのではということで。

 登路は夏山登山道を使ったので下山は途中で分岐する行者道を使うことに。どちらもよく整備されているけれど、行者道の方が比較的人が少なめで鬱蒼とした印象。暫く下ってルート確認している最中にクマの目撃情報が投稿されていたのに気がつきよっぽど引き返そうか迷ったものの、そこからまた角度のある細かい階段を登り返す気力がなく、熊鈴をオンにしてチリチリ音立てながら下りていく。まだ上の方にいる時、行者道のあたりで救助ヘリが来て暫く行ったり来たりしているのを見ていたので、まさかクマとバッティングした結果の事故じゃあるまいなという不安もあった(このヘリが来ていたのは滑落を目撃した人の通報によるもので、ニュースになっていたけどご無事だったそうです)。

 人が嫌で登っている部分もあると言ったけど、確固たる信条も本当の意味での人嫌いを貫くような割り切りもないので、一ヶ月前にツキノワグマの目撃情報があったと気がついた瞬間に人の気配が恋しくなりました。軽薄なものだよ本当に安い精神性を…。

 行者道で見たかわいい白い花たち。一枚目は蝶が群れているようで可憐、アジサイの一種かな? 二枚目は真っ白な星屑が尾を引いて群れているようでロマンチックだった。

 河原へ出ると聳える北壁が見事。この地点から晴れた日に撮影された写真がとても鮮やかで見事だけど今回は曇天でした。降らないだけありがたい。
 順調に下って最後は神社へお参りし、麓のお店で食事と土産物を買って帰路についた。行者道は神社へ出るまで静かだったのとクマの恐怖があったのとで、終わった時には気落ちも随分持ち直していた。

 

 いい山行だったかというと手放しににこにこ顔というわけではないけれど、行かないと心残りになったのは明白なので足を運んで良かったのは間違いない。

 でもやっぱり人が少なくて、生き物の気配も薄くて、雪と氷と岩でできた白・青・黒の世界で、ひとりで頂を歩き回りながら過去の出来事やもういない人のことを考えたり、日没と夜明けを浴びたり、生き物以外のスリルを味わいながらちょっと難しい箇所や課題を乗り越えてアドレナリンと達成感を得たいのだろうなあと思う。冬の大山の方が面白かったし好きだと断言できてしまう。すごく自分勝手な登り方をしていて嫌だなあ、登山って自分との闘いや向き合うことに向いている行為だとは思うけど自分本位の思考に囚われるのはちょっと…。

 

 そんなこんなで終始自分の話になっちゃったなあと思いつつおしまい。

 先鋭登山ができるような能力と環境があるならともかく運動音痴なくらいなのだから、独りになるような思考よりも山にまつわるものはなるべく沢山好きになるべきだと思うな。これは理屈だけど。

 イギリスへ行くときは一旦山道具を実家に置いたままにするけど、早く送ってもらえるような状況が整うといいなあ…。

 ずっと海外に興味がなさそうだった父が行きたいところが出来たというので聞いたら、アルプスのエギーユ・デュ・ミディとのことで驚いた。マロリーも登っているゆかりの地で、私も出来れば行ってみたい場所のひとつだった。フランスだけど、英語での通訳ができるようになって父と一緒に行けたらいい思い出になりそうだ。うーんマロリーゆかりのルートは高難易度過ぎて難しいにしても行ってみたいし、出来れば登ってみたいなあアルプスの山!

 でも楽しむためには静けさを偏重する傾向を直しておくべきだろうなあ。

 

 


 

山と骨(wip)

 

 

 厳冬期でも晴れの昼には賑わう山だが、今はただひとりだけが残っていた。暮れなずむ薔薇色の雪、染まる黄金の雲海にシャッターを切っていた登山者たちも次々と下っていき、とうとう無人の避難小屋にひとり、雪で出来た階段の傍らで、青いアウタージャケットの襟を立てた青年だけがぽつりと佇んでいた。

 彼はすっかりくたびれ果てていた。荷は重く、森では融けた樹氷がしゃらしゃらと音立てて降り注いでいても、吹き晒しの森林限界上は凍りつき、一歩進むごとにアイゼンを強く蹴り込まねばならなかった。火照った身体に絶え間なく吹きつける寒風が心地よかったのは一瞬で、急登を超えてからは背筋から汗冷えの前兆を感じていた。やっとの思いで山頂に辿り着き、荷を下ろしてからはダウンを着込んだにも拘わらず、夕景を拝んでいる間に身体は冷え切ってしまっていた。そのくせ喉は渇きではりつきそうだった。おまけに数時間前から全身が酷い空腹を訴えており、今すぐに温かい飲み物と熱くて塩気のある食事が欲しかったが、まずは綺麗な新雪を集め、バーナーを用意し、溶かすところから始めねばならなかった。熱い湯を入れてきたテルモスはとうに空になっていた。

 ぼんやりして潰す時間がどれだけ無駄なものか、嫌でも理解していた。夜になって新雪が凍結する前に雪を集めておかねばならない。重い身体に鞭打って、アックスを手にとぼとぼと、青年は陽の沈んだ山頂へ繰り出した。

 ようやく雪が融けても、新しいバーナーは期待したほどの火力を出せなかった。一向に沸騰しない湯に痺れを切らし、程よい一杯目を飲みながら煮たてた小麦麺が、それでも空腹には十分に足る仕上がりになったのは幸いだったと言えよう。荷を軽くするため食料を削ってきたことを早くも後悔しながら、乾燥に荒れた唇の隙からほうっと息を吐いた。沸かした湯よりもずっと勢いよく白い湯気が溢れ、暗闇の中で幽霊のように立ち昇った。

 疲れ切り、未だひもじくて寒かったが、青年は心から満足していた。片手間に三杯目の湯を作りながら、風が無いのを良いことに開けたままの入口と、その正面に詰み上がる雪の白さを眺めた。疲労が二、三度、青年の頭を揺らしたが、ようやく退屈な仕事を終えると、熱いお茶を呷って元気を出し、カメラとアックスを手に表へ出た。

 金貨のような月が昇っていた。おかげで星は随分隠れているようだったが、それでも都会よりはずっと賑やかな宙が透けて見えていた。南へ切れ落ちていくようなルートも、すっぱり垂直に削げた北壁も、沢筋へ呑まれていく西への白い段々も、全て遠目に臨む山の黒さと立ちこめる雲海の美しさを際立てていた。東へ延びる尾根は崩落が激しく立ち入り禁止となっていたが、暗闇の中で低い月に照らされてぼうっと浮かび上がり、手招きするように細い背骨となめらかな肌を光らせていた。今いる嶺とそっくり同じ丈をした双子の頭は、人の入るこちらよりもずっと滑らかで美しい。その眩しさにつと視線を上げれば、女神の足元でオリオンがながながと寝そべっていた。名も知らぬ星々はちらちらと瞬き、この山にただひとりの人間の頭へ無関心な光を落としていた。その微光を掻き消さんばかりの月明かりは、青年の足元に黒々と濃い影をえがいていた。小屋に入る際に脱いだアイゼンはそのままにしていたが、ライトもいらぬほど明るいおかげで、キックステップの効くあいだは足元の不安はなさそうだった。

 この山には珍しく静かな夜だった。大抵いつでも荒れると聞いていた風は穏やかに凪ぎ、遠目に見える街の灯がゆらゆらと煌めいていた。湖の穏やかなカーブに切り取られた人工の灯りは、夜景に興味のない青年の目にも美しく、そのぬくい色味は少しばかり愛しくも映った。しかしやはり青年の心を惹くのは自然だった。喧騒から離れ、この一帯で最も高い場所を独り占めする夜は、たとえ嵐であっても彼の心を安らがせただろう。人のいない開けた山に、密かに期待していた不気味さは感じられなかった。

 暫く撮影に夢中になっているあいだに、女神は買い物を済ませていたらしい。気がつけば空に浮かぶ一ポンド硬貨は十ペンス硬貨に変わっていた。吹き始めた風がフードの内へ吹き込んではバタバタと音立てて髪をかき乱し、雪はいよいよ硬く凍りつきつつあった。そろそろ戻って寝支度をしようと、見納めのつもりで辺りを見回す目がふと一点に吸い寄せられた。

 彼はじっと東の尾根を見つめた。崩落したナイフリッジに積もった雪が、すぐ傍らの嶺へ、そして更にその先の嶺へと続いていた。霧でも出ているのか、東の地平に星は見えなかった。その真っ黒い緞帳の手前に聳え立つ三角へと、一筋のトレースが続いていた。

 陽のある時間ですら全く気がつかなかった。一体誰がこんなところを? 風が強い時によろけでもすれば、すぐに転げ落ちるか、脆くなって滑り落ちかけている積雪を踏み崩して雪崩に埋められてしまうような地形だった。その上を、どうやら一人で歩いた者がいたらしい。

 たしかに好奇心掻き立てられる光景だった。手前の嶺はよく見えるが、その更に奥となると綺麗に重なってしまい殆ど見えない。この尾根を渡った先にはどんな光景があるのだろう。

 向こうへ行ってみたいという好奇心を抑え込むために、この山頂小屋に二泊する予定でいたことが幸いした。月が明るいとはいえ、夜中に大きな危険を冒さずとも日中によく下見すれば良いのだ。明日は昼頃から吹雪くようだが二日後には好天が予想されている。それにもしかすると雪が積もれば歩ける地形で、地元の登山愛好家ならば案外気軽に渡ってしまうのかもしれないとも考えた。それならば二日後に登ってきた人たちに話を聞けるかもしれない。大きな楽しみが出来た喜びを胸に、青年は小屋へと引き返した。

 入口が埋まらないよう、ぐるりと囲うように雪かきされた木の小屋は東洋の城を思わせた。明日は小屋の中でゆっくり過ごす心積もりだが、扉が凍りつかないように注意する必要があるだろう。そんなことを考えながら雪壁を切った簡易階段を下っていき、開けたままにしていた入口の敷居を跨いだ。小屋の一階に広げていた荷物を二階へ運び上げ、なるべく心地よい寝床を作ろう。その間にもう一杯お湯を沸かして、眠る前に熱いお茶を飲んで身体を温め、ぐっすり眠り、黄昏と星空に続いて美しい夜明けに期待しよう。疲れ切っている青年の頭が組み立てられるのはこの程度のことだった。

 ところが、敷居を跨いだ瞬間にすうっと薄荷のような緊張が目を覚ました。数拍。立ち尽くした青年の頭がゆっくりと小屋の中を見回した。

 ――誰かがいる気がする。

 霊感だとかオカルトだとか、そんなものにはまるで興味の無かった青年は、沈黙の闇に満たされた小さな小屋にライトの灯を投げかけながら、微かに困惑していた。

 小屋は一年前に改修されたばかりの二階建てだった。一階は壁に沿ってシュラフを敷けるだけの幅がある棚が設けられ、真ん中に上がり台、その端には靴箱と、二階へ続く階段が設置されていた。どれも木目鮮やかな新築といった趣で、怪談をするのにうってつけとは思えなかった。これが幽霊屋敷だというのなら、それは土地そのものの問題だろう。窓の向こうには高く積もった雪壁しか見えず、此処から見通しが利かないのは二階と、右手にある手洗い場のドアだけだった。

 少しの間じっと耳を澄ませていた青年は、ふっと苦笑いを浮かべて歩き出した。外で強さを増しつつある風音以外に聞こえるものなど、彼自身の吐息とゴアテックスのウィンドブレーカーが擦れてがさがさいう音くらいだった。此処には彼以外、誰もいるはずがない。何に怯えることも無く手洗い場のドアを開けると、何の変哲もない三つの個室を確認して踵を返した。

 それからは取り立てて言うことも無い。靴紐を解いて荷物を全て二階へ引き上げ、寝床を整え、最後に登山靴の中で湿った中敷きを立ててやれば、眠る前に済ませることは全て終わりだった。濡れた靴下を銀マットとシュラフの間に放り込み厚い上着を脱ぐと、スマートフォンとバッテリーを抱え込んで目を閉じた。

 そのまま泥のように眠る算段だったというのに、十分も経たずして起き上がることになった青年は、じわじわと冷えていく肺から重い息を吐いた。眠るにはあまりにも寒すぎたらしい。シュラフは今回の山行のため新しく買ったものだが、そんなに薄っぺらだっただろうか? 予備の肌着と一旦脱いだダウンを着込んで再びシュラフに潜り込むも、未だ手足の冷たさはひどく、寝つけなくなってしまった。外にいた時よりもどんどん冷えていくようで、揉んでも抱き込んでも一向に温まらない末端は、まるで亡霊に握られているかのようだった。まったく他愛もない! そう笑い飛ばそうとも、とうとう冷えすぎて痛み始めたとあれば凍傷という現実的な懸念が出てくる。これはまた湯を沸かして末端を温めるしかないだろうかと、乗らない気に発破をかけようとした時だった。

 こつん、と硬いものが足先に触れた。軽量化のため銀マットは短めのものを持って来ていたので、足りない分を補うため、足元にはザックを敷いていた。パーツのどれかが当たったのだろうと思って足をずらすと、予想外にもそれはころりと膝の方へ転がってきた。無視しても良かったが、どうせ起きるならばと手を伸ばしそれをつまんだ。

 グローブ越しに触れたのは、何か軽くてざらついたものだった。新品のシュラフだ、緩衝材でも入っていたのかと引き寄せ、のろのろとライトをつけた。目を眇めながら、オレンジ色の光に照らされた小さなそれを転がした。

 それは白い塊だった。ズボンに張りついた雪片だろうかと目を凝らし、

 

  ***

 

 がらがらっと扉の音がはっきり聞こえた。

 心細さを認めたくはなかったが、ついほっとしてしまった。

 階段の縁に手を掛け、そっと階下を覗き込んだ。

 

  ***

 

 もう我慢ならなかった。もう一晩、この小屋で独りの夜を明かすなど考えたくもない。それならばたとえ滑落しようとも、崩れる天候に怯えながら下山する方がましだとさえ思った。夜が明けたらすぐにでもこの山を離れようと決意し、

 夜明けまでまだ三時間以上あった。

 

  ***

 

 東の尾根に動くものを見つけた。

 

  ***

 

 正しく装着していた筈のアイゼンが外れていた。よりによってこんな凍結した急勾配で! 舌打ちするより早くアックスのピックを斜面へ打ち込み腰を下ろした。弾む息が緊張によるものなのか、ただの疲労のせいなのか、もはや分からなくなっていた。グローブの厚さと焦燥感にもたつきながらスパッツを開くと、やはりアイゼンの踵コバが外れてしまっていた。がばがばのアイゼンから靴を引き抜くと、雪除け板と靴底の間から白いものがざらざらと零れ落ちた。ここへ雪が入り込んだり、それが圧縮され凍ったりすることはよくある。だが今アイゼンが外れるほどに溢れ、凍りついた斜面を勢いよく転げ落ちていくそれは骨だった。

 

  ***

 

 骨が、凍った骨が降ってくる!

 あのひとが降ってくる。あのひとの指先が、爪先が、頸椎が、肋の欠片が、砕けた大腿骨が降ってくる。しゃらしゃらと降り注ぎ、頭を打ち、首筋へ滑り込んで背中を撫でる。冷たいからだが降り注ぎ、ばらばらになった抱擁でもってこの山へ埋めようとしている。どさりと音立てて頭蓋が降ってくる。一瞬綺麗に被さって、次の瞬間にはざらりと崩れた。頭蓋の破片は肩から滑り落ちて足元へ積もる。しゃらしゃらと透った音はまだ止まらない。黒い樹々から、己の髪から、肩口から、骨は降り続けてやまない。

 わあっと喉を突いた叫びは、一面の雪に吸い込まれて響きもしなかった。白い陽を浴びて透明な欠片を降らす黒い骨々のより奥深くへと、彼は盲目のうちに駆けて行った。

 足首を埋めるほどに積もった樹氷を蹴飛ばして駆け続けた。硝子のようにきらきら、しゃらしゃらと、青年の足元で氷はいつまでも鳴り続けていた。

 

 

 透明な骨がふる音。

 

 別名大山日記。未完のまま終わりそうだけどかなり気に入っている。一回目の冬に登ったあとにアドリブだけで書き出して加筆される気配がないので供養。とはいえ二回目の山行を経た後の「真っ白で無機的で美しい屍体に、グロテスクで有機的な緑が繁茂している」印象を加えたらまた膨らみそうだ。大体こんな感じで思いついたところを書き出して行間を埋めていくような書き方をしていることが多い。

 自賛するのも恥ずかしいけど、自分の書いたものの中では一番文章が上手いと思っていて、しっかり書いてある部分を読み返すと今も大山の夜を生き生きと思い出せる。最初に載せている記事内容よりも遥かに。

 舞台は海外の山と主人公のように書いているが、舞台のモデルはそのまま大山で、語り手の経験は自分の日記にフィクションの混ぜ込み。人物モデルはイギリスの古典短篇怪談で度々見られる「楽観的でいい奴だけどツイてない大学生」。大山で怖い思いをしたわけではないが、良いシチュエーションを経験したとは思ったので。