CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

雑記

 そういう日もある

 

 遠征中に受けている「大抵いつでも機嫌が良くて楽しげにしていた」という評とは裏腹に、結構苛立ったり焦ったり落ち込んだり、本当は機嫌の悪そうな日も多いのを日記から感じる。それらの大部分を飲み込んでいるのが本当にえらいと思うのは何度も書いている通り。

 

 この記事を書き始めた5月21日はちょうど百年前マロリーたちが最高高度到達記録を更新した日ですが何も関係ない! 気がとっ散らかっていて今年22年隊のこと全然追えていないの物凄く勿体ないと焦りつつ無駄に過ごしているしこのままシーズン終わるのが目に見えている…いずれ腰据えて辿っていきます…。

 これが一週間も経たずフィンチたちによって記録が更新されるのは改めて考えると目まぐるしいことだし、二週間後には悲惨な雪崩事故が起こると思うと憂鬱になる。分かっていてもリアルタイムに近い追い方をするとしんどいよなあ…これは去年サンディの日記を再訳した時も思ったけれども…。

 

 


 

 

 Twitter公開垢に堂々投げるのはちょっとな…と思う実質没になりそうなラフばかり。

 こんなことしている場合じゃない(引越し)(6/8)(6/18)のは分かっているんだけど意志薄弱無計画~

 

 The Third Poleが出版されて以降、度々中国がアーヴィンの遺体を発見し、初登頂の証拠を残されていては困るからと遺体を引き揚げ、ラサの施設へひっそり運び隠蔽している説が話題になる。

 原著未読で関連記事だけを読んであれこれ言うのも無責任だけど、この話題を目にする度に、感情的なことながら物凄く嫌な気持ちになる。

 真なら彼が政治めいたものの為に亡くなってからも振り回され、ある意味では重要だろうが大切にはされていないイメージに悲しくなるし、工作側は憎らしく思う。偽なら陰謀論めいた話題を振りまいた人物や組織を憎らしく思うし、そういう話に使われて悔しさに似たものを感じるし、冤罪かけられた側は気の毒に思う。
 実際に遺体が出てきてしまうまでは話半分に陰謀論みたいなものとして笑って流しておくのが無難なのだろうけど、いずれにしても気持ちのいい話ではない。これじゃあ99年より尚たちが悪い。
 個人的には、苦しみのないあの山の夜は挑んだ死者の特権だと思っているからこそきっとどこかにいるという事実にもロマンや救いがあるのであって、政治的意図で引きずり下ろされ、といって帰れるでもなく、どこか暗い部屋に物品のように「証拠品」として閉じ込められている仮説を聞いて気分がいいわけが無いんだよなあ…。
 風に吹かれて氷河へ落ちてしまった、何百年後かにひょっこり姿を現すかもしれない、ならまだいいけど、亡くなった後にまで政治と悪意の手によって振り回されているのは仮説でも本当に嫌で仕方ない。ただでさえ大人の駆け引きに巻き込まれた部分も大きいのにね(といって彼の選択と結末をただ振り回され続けた結果として取る気は全く無いし、彼は彼の意志で最後まで歩き続けたと信じているけれども)。

 もう苦しむこともなく歩き回って死にかけている登山者を助けるエベレストの幽霊の話は「どこかにいる」が生み出すものも大きいだろうし、それは今もあの山のどこかにいるというロマンであって、俗の手に引きずり下ろされ下界に閉じ込められているというはらわた煮えくり返るビジョンではない。

 自分はあの山で終わりたいと思うくらいなので、彼らがあの山に眠っているという情景は個人的にいいものだと感じる。と同時にそれが救いようのない悲劇だと捉える人の感覚も分かるけど、無遠慮な手で引っ掻き回して滅茶苦茶に汚されるくらいなら、本当にずっと見つからないで静かに星見る人であってほしいなあ。

 …などと感傷的なことをくだまいたりなどしていた。学術的にはその辺の感情排除して理で詰めるべきだけど、私別に論文書くわけではないしね。

 何にせよ存在しない証明をするというのはこの状況設定では難しいように思うので、山か施設かはともかく、こうなるともう遺体が見つからないことには冤罪だったとしても悪魔の証明も同然になってしまいそうな気がするし、嫌な匣の蓋を開けられた思いを繰り返している。

 まあ下界のことなんかもう無関係に、真実はただ静かに星見る人であり、軽やかに死の領域を闊歩する優しい幽霊の夢を見られるように眠っていてくれたらいいのだけれどね。愛すべき死者に、生きている人間の喧しさ、煩わしさの汚れた手が届かない場所にいてほしいというのも、生きている人間である私自身の価値観から引き出す自己満足的な願望でしかない。

 

 


 

 

 以下A Deathful Ridgeの二次創作など。これについては完全にサブカル オタクの思考。喋りたい気分なので喋っておく。

 ちまちま読んでいますが今のところ理解している1924~26年頃の場面のあらすじ:

 

 1924年 6月、ジョージとサンディはファイナルアタックに挑むため高所キャンプに滞在していた。この物語のサンディはジョージへの崇敬を拗らせて恋愛感情まで抱いてしまっているがそれを本人へ伝える気はなく、ジョージも明るいサンディのことを可愛がっており、ちょっと空回る部分もあるものの二人は良好な関係を築いていた。

 ところが6月8日、ジョージはサンディを最終キャンプへ置いて一人で頂上へ向かってしまう。書き置きには一人で下りるな、自分はもう帰らないだろうという旨のことが書かれていた。ジョージの意図としてはサンディを死なせたくなくてそんなことをしたのだが、サンディは前夜に見た夢のこともあり、自分がジョージに対して抱いていた恋心がばれたから置いていかれたのだと誤解。単独下山は禁じられているが単独登高は禁じられていないというこじつけ解釈でジョージの残したトレースを追っていく。

 ひとりで登頂を果たし下ってくる途中だったジョージと、なんとかファーストステップを越えたサンディはセカンドステップにて合流。しかしサンディは崖の上部で座り込んでいたジョージが衰弱しており遭難寸前だと思い込み、彼の制止の合図を認識できないままセカンドステップを登り始めてしまう。ジョージはサンディが登攀してきていることに気がつかないまま下り始めようとして手を伸ばし、ちょうどすぐそこまで来ていたサンディの頭を強く押してしまった。

 耐えられず手を離してしまった彼を抱きとめようとするもかなわず、落下したサンディは全身と頭部を岩へ酷く打ちつけ死亡。体勢を崩し後を追うようにジョージも落ちるが、彼は顔に酷い傷を負ったものの骨折もなく一命をとりとめる。しかしサンディを殺してしまったという認識はジョージの心を壊してしまった。サンディの血がついた岩の欠片と彼のアックスを握りしめ、ジョージはひとりキャンプへと下っていった。

 翌日、二人から登頂の報が聞けるかもしれないと心浮き立たせながらキャンプⅥへ登ってきたオデルが見たのは、テントの中でアックスを握りしめ顔に酷い傷を負ったジョージだった。長い沈黙の果て、「ぼくが彼を殺した」と口にし暴れるジョージに、これは自分だけでは手に負えないと、オデルはキャンプⅤで待機していたハザードを呼びに戻る。

 二人で引き返してくるとテントは空で、トレースを辿っていくとファーストステップの基部にジョージが佇んでいた。その手に握られた赤い染みのある石に嫌な予感を抱きながらも今一度何が起こったのか問うオデルに、彼はただ一言「もういいよ」とだけ言い、それきり口を噤んでしまう。オデルらと共に難しい地形を下るジョージの足取りはいつものように優雅で、動転していたオデルたちは彼が持っていたアックスをファーストステップへ置いてきたことに気がつけなかった。

 キャンプⅣにて隊長ノートンとサマヴェルも加え、今後のことを話し合った。ジョージの口にした言葉、イギリスにいる彼の家族、そして国にこんな結果を持ち帰るわけにはいかない――ジョージに喋らせるわけにはいかないという判断で、ノートンたちはサンディに加えジョージの死を偽装することを決める。ジョージが本当にサンディを殺害したのか、判断材料になりそうなアックスを取りにファーストステップへ戻る猶予はもう残されていなかったのだ。表向きには二人はファイナルアタックの途上で遭難死したという物語を通し、真実を知る数人の隊員と、道中助けを求めたアルパインクラブの重鎮でジョージの恩師でもあるジェフリー・ヤングらの手によって、ジョージは偽名を使いながら北ウェールズの山間にある農家で匿われることとなる。

 後にはかつてウェールズでクライミングを共にしたことのある老デイヴィスらの助けも借りながら隠遁生活を送るジョージだが、彼の負った傷は深かった。エヴェレストでは出されたスープをおとなしく飲んでいたが一切口を利かず、洋上で旧知のヤングに呼びかけられ触れられても無反応でただ窓からぼんやり海を眺めているばかり。イギリスに戻ってからも全く口を利かず、デイヴィスがマロリーの好きそうな本を読み聞かせたり、あるいはひたすら話しかけたりしても、反応はまちまちだった。

 ジョージの狂気は、当時の考えでは二度と快復しないと思われるほど酷かった。しかしそれでもデイヴィスは、最後にはジョージがもう自分の中で折り合いをつけられていることを察していた。そしてデイヴィスの元に、ジョージの足跡を追う主人公がやって来る……。

 

 という感じの展開 多分

 節々で最悪だ~とくだまきながら読んでいるけど正直すんごい面白い。

 マロリーとアーヴィンの物語って基本的に6月8日ないし9日には死亡するという大きな制約があって、彼らがキャンプⅣで最後の写真を撮られ出発してから最後の日までのブラックボックスをどう演出するかが最大の醍醐味だと思うのだけど、A Deathful Ridgeは魔法やら神話やらのファンタジー要素は入れずに6月9日より先を生き続けるジョージ・マロリーを書いているのが突き抜けすぎている。サンディが単独でファーストステップを越えて、事故要因が無ければセカンドステップもひとりで登れていたことが窺える展開も多分ここにしかないし…。

 ジョージがグレート・ギャツビーを読み聞かせられているのちょっと感動したな。マロリーが1924年以降に出版された名著を読んでいる(グレート・ギャツビーは1925年刊行)という感動なので浅薄なんだけど…読みたいと思いつつ未だ手をつけられていない一冊だ。

 

 ブチブチ言いながら読んでいる割に二次創作するじゃん。。。

 結構映画的な情景の浮かぶ場面が多いので、印象深いところだけでもコマ切り抜き風に描き出したいな~と思って進めていたもの。気が向いたら完成しそうだけど出国前に気が向くかどうか…。

 

 これはセルフ解釈違い起こしているので~描きたい構図だったけどアオリ難しくて修正粘る気もなく没。

 お互いに相手を生かそうとして選んだ行動がすれ違い悲惨な結果に転げていくだけなのでこういうニュアンスの話ではない…。

 

 あんまりにも可哀想だから死の尾根の二人どうにか一緒に隠居してくれ…みたいな願望が生まれた時に同人誌の表紙が出来るんだな~のラフ。現パロルームシェアとか言っている方がまだマシかもしれない。

 激粗ラフだけどあまり描く機会のないものを描けて楽しい時間だった。普段ならここから色を置いて厚塗りに入っていくところだけど、慣れていない緑があったり小物が比較的多かったりでうん…多分ここで終わるんじゃないかな…。

 死の尾根のサンディくんはモデル人物からの乖離が大きくてだいぶヤンデレ気質のキャラクターにされているけど、ヤンデレといっても献身欲求が行き過ぎて思考がおかしくなっているタイプなので、どうにかこうにか因果を捻じ曲げた一緒に隠居世界線では多分幸せに過ごしていそうだ。

 水差しなどの共有品をジョージが手に取りやすいように置いていたり、暖かい暖炉側に彼の席を設けていたり、そちらに寄せて花を飾っていたりとかね。そして自分の側にはあの写真があるわけで。

 中身も書いてみたいけど原作が原作なので所謂カップリング要素が入るし、完成したとしても日の目を見ることは無さそうだ。単純にイギリスの田舎の景色や生活を書いてみるのは楽しい。これは別の書きかけでも屋敷の描写をしていいのが新鮮で面白かったのと一緒だなあ、エヴェレストの話ばかりしていると描写される背景ってかなり限られるもんね…。

 

 都度都度心配になるのでまた予防線張り直すけど、この作品について真面目にぶちぶち言っているのはモデル人物が明白且つ時代が近すぎることとAmazonという販路を思うと冷や冷やする部分があるという点だけで、話やキャラクター自体はすごく好みな作品です。元々愛の重いキャラクターも同性愛描写のある作品も好きだし、先述の通り綺麗にまとまった無難な作品よりも尖っていて作者のやりたかったことが強く出ている作品の方が好きなことが多いしね。もう少しアングラな場でこそっと売ってくれれば…と思ってしまうあたりも含めて読み心地が同人誌。

 サンディくんもアーヴィンがモデルだと思うと彼の献身的な部分やリスペクトはそういうものではないんじゃないの~となるけどキャラクター自体はかなり好き。ジョージについてはまだ出番のある部分を読み切っていないので保留掛けたいところだけど、優しいのに愛した何もかもが滅茶苦茶になっていく善性オムファタル的な造形になっている気がしてこれまた好きだしね。

 邦訳が無い+英語力に乏しい+その日その日で読みたいものが変わるので全然集中できていないのとでまだ読みさしなの? という感じだけど、フィクション作品がかなり少ないテーマに面白くてぶっ飛んだ作品が存在しているのはとても嬉しい。

 あらすじだと端折っているけれど教養ありきの言い回しやネタも多くて、きちんと理解しようとしたら色々調べなきゃならないのもまた楽しい。

 サンディくんがファイナルアタック前夜にジョージへ向けて、聖書の詩篇23から「たとい死の陰の谷を歩むことがあろうとも、あなたが私とともにおられますから」を引用してくる場面があるのですが、これ最初は「あなたが一緒なら僕は死も恐れない」に近いニュアンスだと思って。でも前後も含めて調べていくと、無謀だが勇敢だと評されたバラクラヴァの戦いにおける軽騎兵旅団の突撃(死の谷と呼ばれる地点が関わっている)も絡めて「あなたが死ねと言うなら僕はよろこんで一緒に死にます」に近いニュアンスらしいことに気がついた瞬間とかすっごいアドレナリンが出た。この引用については彼自身が冒涜だと言っていて、そのニュアンスは今もはっきり分からないけれど、マロリーを神に見立てていることや詩篇23が結婚式で読まれるあたりかな…など。

 サンディくんのことを「死の舞踏に巻き込まれた求婚者」と呼んだり、彼がジョージを助けるという「自分が成し遂げねばならない使命(悲惨なことに思い違いだった)」に恋をしていることが明言されたり、ジョージが彼の頭を押してしまうところを祝福の圧と言ったり、二人の師弟関係をイエス十二使徒を意識した言い回しで表現したり、結構この「冒涜」に絡むらしい神と使徒、恋愛系のニュアンスでの表現は露骨だったりする。

 

 あー楽しい! ここ数週間はまた別のもの読んでいて止まってしまっているので、リーディングトレーニングも兼ねて早めに再開したいところ。

 

 


 

 wip ししゃのいとなみ

 

 古ぼけたラジオを切って戸棚を開いた。白パンとハムの塊、頂き物のチーズ、買ったばかりのバター。畑のキュウリとトマトも食べ頃を迎えている。ついでに頼まれていた修理仕事もひと段落ついているときた。

「聞きました、ジョージ? 明日はピクニックに行きましょうか、きっと気持ちがいいですよ」

 朝の仕事を終えたら、サンドイッチとお茶と食後のコーヒーを持って湖の方へ歩いていこう。森の端っこで白い岩が光るのを眺めながらゆっくり昼食を楽しんで、冷たい水に足を浸しながらぐるりと散策してみよう。

 そして僕はきっと、今日こそジョージがあの岩を登らないかと期待している。

 

「ほら見てくださいジョージ、天気予報通りのいい朝ですよ。絶好のピクニック日和になりそうですね」

 扉を開けると、ジョージがぬるりと境界を越えた。一緒に来てくれることにほっとする。素朴な門扉をくぐろうとすると、ジョージがするっと僕の手からバスケットを取っていった。どうやら一番大きな荷物は彼が持ってくれるらしい。二年前なら、僕はあえてジョージに自分より重い荷を負わせようとは思わなかっただろう。でも今は彼の親切に甘えることにした。彼がはっきりと意思表示することはそう多くないけど、決して意思や意識がないわけじゃない。

 相変わらずジョージの視線はぼんやりとして何を考えているか分からないけれど、ひとりだったら変わらず颯爽と歩いていけるはずなのに、杖を突いて右脚を引きずりながら歩く僕に合わせてゆっくりと半歩後ろをついてきてくれる。彼がいずこかへ足を向けるようなら合わせようと思っていたけれど、どうやら今日は行き先がどこでも構わないらしい。そうだね、こんなに陽射しが気持ちいい日ならどちらへ歩いてっても楽しめるだろう。

 なくても一応歩けるとはいえ、杖を手放せなくなってしまったのはなかなか不便なことだ。どうやら二年前の滑落事故で、僕は足から落ちてしまったらしい。落下の勢いそのままに打ちつけてぼっきり折れた脚を一晩放置したものだから、さすがに神経がだめになってしまったのだろう。切断沙汰にならなかっただけでも奇跡である。

 有難いことではないけど悪いことだけでもない。この村での僕たちは、第一次世界大戦で酷い後遺症を負ったオリバー・ジョーンズ氏と元部下のアレキサンダー・スミス氏ということになっている。戦線で顔に酷い傷を負い声が出なくなったジョーンズ氏に、これまた脚を中心に後遺症が残っているスミス氏が恩義から世話役を兼ねて同行し、この美しい田舎村で療養しているというわけだ。おかげさまで僕は二歳年齢を偽っている。首から頬にかけて残る凍傷の痕は火傷だということにしているから、偽名をヒューとでもしておいたらちょっと面白かったかもしれない。アレキサンダーと名乗っているのは弟の名を騙りたかったわけではなく、ただサンディという愛称に思い入れがあるからだ。何にせよ、全身に残る凍傷や深い切り傷の痕とこの脚のおかげで、思い出したくないという顔をしながら口にする聞きかじりの戦場の話は全く疑われていない。

 うねる小さな丘をみっつほど越えていくと、これまた小さな湖がある。最後の頂へ登ると、その先では夏の光を跳ね返し、そよ風にゆらめく湖面がきらきらと金色に照っていた。あの山で星が光るように、いま目の前では空の青を映した水面に大ぶりな光が泳いでいる。白い砂が細く延びた畔で、踏み慣らされた道は左右に分かたれていた。どちらへ向かって歩いていこうかと考えていると、ぼんやり湖面の光を眺めていたジョージがすっと東を見たので、そちらへ進むことにする。道のわきでは、例年になく長い冬に開花の遅れたスズランたちが、かわいらしい白のトピー帽を並べて風にちりちり揺れていた。妖精たちも夏にはこんな帽子をかぶって山に登るのかもしれない。

 信じられないほど平穏な光景。こんなところでジョージと二人で立っていることに、僕は今でも違和感を覚える。

 

「きみまで一緒に死ぬことはない」

 かつてノートンはそう言ったっけ。

 そう、たしか……計画の初期段階ではジョージの死だけを偽装し、僕は何食わぬ顔で帰ることになっていたんだった。実際僕は一九二四年六月八日から九日にかけての記憶がきれいさっぱり飛んでしまっているようだし、記憶喪失の原因になったと思しき頭の傷痕を見てもらえばまんざら嘘とも思うまい。

 「ぼくがかれを殺した」というジョージの一言が、彼を歴史の表舞台から殺してしまった。

 ノートン やオデルの推測ではこうだ――ジョージと僕は六月八日にキャンプⅥを出発。登頂を果たしたか否かはさておき、ファーストステップにて転落事故が発生。ジョージは顔に深い傷を負い、僕は岩に全身を打ちつけた。頭からも出血していたものだから、疲労し凍えきっていたジョージは僕が死んだと誤認し、自分のせいで僕を殺してしまったと思い込む。あんなところでは埋葬や死体の引き揚げもできやしないから、ひとりでキャンプⅥへ戻った。そして九日、オデルがひとりでテントの中にいるジョージを発見。ひと悶着あってハザードを呼びにキャンプⅤへ降りているあいだにジョージがファーストステップへ戻り、キャンプⅤから登り返してきた二人がトレースを辿り追いついてみると、そこには立ち尽くすジョージと倒れている僕がいたというわけだ。よくもまあ、あんな恐ろしい冷たさの中を一晩生き延びたものだと思うけれど、医者でもあるサマヴェルの見立てではその寒さが良かったのかもしれないという。僕は深手を負っていたけれど、寒さで仮死状態に陥り、傷口もすぐに凍って止血されたことが、奇跡的に後遺症の軽い生還に繋がったのではないかということだ。我ながら呆れてしまうほど頑丈らしい。

 とはいえ深刻なダメージを負っていたことには変わりなく、意識を取り戻してすぐのこともかなり記憶が曖昧だ。ただ覚えているのは、痺れてほとんど感覚のない手足を強くさすってくれる感触と、僕を見下ろしているジョージの目。でも彼がどんな表情をしていたのか、どうしても思い出せずにいる。

 ねえジョージ。あなたは僕が生きていて嬉しかった? それとも恐ろしかったり、困ったりした?

 そんな疑問がずっと心の内にあって、でも今の彼には訊けずにいる。もしかしたら彼がすっかり元気になっても口にできないかもしれない。もしもお前が死んでいてくれたらよかったなんて言われたら、一体どうしたらいいというのだろう。望ましければその場ですぐに命を絶ってもかまわないけれど、ずっと彼の傍に一番見たくもない存在がいたことになってしまったら流石に堪える。僕にとってこの二年間が幸福ゆえに短いものであったように、それが苦痛を伴うものなら結構長いものであるはずだ。そしてジョージにとって僕の存在、生存が望ましくない可能性が無いとは言い切れない。

 何しろ具合のいい日、ジョージは時々僕を見て、とてもつらそうな、あるいは恐怖にも似た色を浮かべるのだ。まるで亡霊でも見たかのように、すっかり白いままになってしまった頬から浅く血の気を引かせて。

「ジョージ、僕はここにいますよ」

 僕はここにいる。共に生きて帰り、あなたの味方としてそばにいる。同じ屋根の下で、一緒に食卓を囲んで、並んで火に当たり、毎日朝を迎えている。

 ジョージは今でも時々「ぼくがきみを殺した」と呟く。僕はそのたびに彼の手を握り、一体彼が僕の何を殺したのだろうと考える。社会的な立ち位置とか、スポーツマンとしての道とか、何か輝かしい……あるいは平凡な未来のことだろうか? もしもそうならば、そんなものいらないと突き返してやりたい。ジョージ・マロリーとアンドルー・アーヴィンは共にあの頂に消えた、登頂を果たしたかは不明だがロマンあふれる謎として残る。彼と僕が並び立つ夢が歴史として語り継がれる、それってすごく素敵だ。僕の存在がジョージと共に在り続けるなら、僕はそれだけでスポーツマンやエンジニアとしての未来を全部擲つことに躊躇いはない。

 そしてその幸福があまりにも捨てがたいものだから、僕は僕が一番彼を苦しめている可能性を見て見ぬふりしようとしている。

「彼が今も僕を殺したというのなら、僕だって彼を殺したことになるでしょう」

 ノートンとオデルの遠回しな制止に、あの日僕はまるで罪悪感や責任感がそうさせるかのような返答をした。

 ジョージを秘密裏にイギリスへ連れ帰り、北ウェールズの辺鄙な地へ匿う計画。重ねた寝袋に横たえられ、骨折からくる高熱に魘され、まだいくらか夢うつつなまま、僕は彼らの計画に必死で食らいついた。

「彼を普通に連れ帰るのなら何も言いません。でもジョージ・マロリーを死んだことにするなら、サンディ・アーヴィンも一緒に死んだことにしてください。彼のことは僕が世話をします。彼が僕を殺したのと同じだけ、僕も彼を殺しているはずだから……」

 ノートン とオデル、それにサマヴェルもビーサムも、あの場にいた誰一人として僕たちの生活が上手くいくとは思っていなかったことだろう。実のところ僕自身とて例外ではない。何せ僕はメイドたちのいる家で育ったから家事なんかしたことないし、精神が壊れてしまった人間の世話だって同じだからね。だから彼らがこの生活を始めさせてくれたのは、恐らく僕の罪悪感への同情からだったのだと思う。二度と家族や友人のもとへは帰れず、アンドルー・カミン・アーヴィンには戻れないことだけをひたすらに念押しして、彼らは移動手段や棲家の確保を助けてくれた。

 罪悪感というなら、彼らを騙しているも同然なことへの罪の意識がある。ジョージへの罪悪感が無いとは言わないけど、記憶がなくあやふやすぎることへ、贖罪を伴うほどの罪の意識を抱くのはちょっと難しいことだ。だから僕がこの生活を望んだ動機は彼らが思っているのと全く別なものだし、もし彼らが僕の本懐を知っていたらこの日々は得られなかったと思えばこそ、あの素晴らしい仲間たちを騙しているような気がしてしまう。

 言ってしまえば、僕はジョージと二人で暮らしてみたかったのだ。愛する人と二人で暮らしたいという平凡な願望を満たすチャンスが転がり込んできたものだから、浅ましくも手を伸ばした。それがジョージを助けられるものであったことが必死さを加速させたのだと思う。

 僕はあの山にいるあいだずっとジョージの役に立ちたくて、彼を助けたくて必死だった。でも修理仕事や酸素のことを除けばそんな機会はなかなかあるものではなかった。山に関して僕は素人同然だし、彼は豊富な経験も天賦の才もあった。そもそも困ることがないなら何よりだけど、本音を言えば物足りなかった。献身的といえば美徳めいているが、ここまでくると悪い願望だ。自分が役に立ちたいからって彼の逆境を望むなんてこと、本当はあってはならない。でも心の底で蠢く飢餓はどうしようもなかった。時折見た悪夢のいくつかは、今思えばこういう屈折した望みからきていたのではないかと思う。この家で暮らし始めてからは絶えて久しい夢だ。

 意外なことに、二人での生活は今に至るまできちんと回り続けている。時折ノートンやオデル、そして船旅の途中で助けを求めたジョージの恩師でアルパインクラブの重鎮ジェフリー・ヤングといった面々が様子を見に訪れてくれるけど、不器用ながらも無事に暮らしていることに彼らは驚きを隠さない。特にオデルとノートンは遠征中の僕らを知っているからなおさらだ。きっと楽観的に見積もって掃除や料理はしたとしても、片付けだけは出来ないと思っていたに違いない。僕たちはいくつか似ている点があったけれど、片付けがひどく苦手なのはその中のひとつだ。僕一人での隠居だったら予想通りの惨状だったことだろう。ただジョージに質素ながら少しでも快適に過ごしてほしいという願いから、彼の触れるものをきちんと整えようとしているだけのことだ。

 遠征の時に使っていたような限られた食材や缶詰、調理法を使いまわすところから始めて、村の奥様方からレシピを教わって作れるものを増やした。旦那方からは猟罠のコツや銃の使い方の基礎、解体の方法などを教わり、足が悪くてもたまには鳥や兎なんかを取ってこられるようになった。ご老人方からは簡単な作物の世話を教わり、種を貰った。おかげさまで不格好ながらもいくらかの野菜が実り、夏にはキュウリまで並ぶようになっている。そして彼らの助けのお礼に、僕は機械や道具の修繕や、薪割りなどの足が悪くてもできる力仕事を請け負っているというわけだ。

 

  ///

 

 左の頬から首筋へ掛けて、ちりちりと焔にくすぐられるような痛みに揺り起こされる朝は、瞼を押し上げる前から重い空模様だと知っている。

 奇跡的に生きて帰ったものの、負った凍傷は酷いものだった。いや、状況からすれば不気味なほど軽かったというのが正確なところだ。四肢どころか指の一本も、鼻先も耳も欠けていないのだから。脚に残った後遺症や、後頭部に残る傷痕と比べたって遥かに軽い。しかしたとえ肌に傷痕を残すだけとはいえ見た目には酷いもので、劇薬でも浴びて火傷を負ったかのように引き攣れた皮膚は悪天候にすぐ機嫌を悪くし、こうして嫌な朝を呼び込んだりする。まあ顔全体ではなかっただけマシというものだ。あの山で苦しんだ日焼け、爛れ剥がれ落ちる皮膚の激痛を思えば、お天気次第の痛痒さなんて無きに等しい。

 なにかハーブの匂いがする軟膏は、近所のおばあさんがくれたものだ。おとぎ話の魔女みたいに曲がった腰と鉤鼻を持った彼女は、優しいハシバミ色の目で孫のように僕を見る。彼女の本当の孫も僕とそう変わらない年頃で、若くして先の戦争へ赴き、とうとう帰らなかったという。戦争で負ったと思っている僕の傷を心配してくれる彼女がくれた軟膏にどんな薬効が含まれていたものか、頭の傷のせいではなくうっかり忘れてしまったけれど、そんなこと関係なく効くものは効くのだ。触れる人々のやさしさに、ジョーンズとスミスは生かされている。

 鼻がすっとするような匂いに包まれひりつきがマシになったところで、いつも通りに一日を始める。軽く軋むドアを押し開けると、火のない暖炉の前にいつもの背が立っていた。

「おはようございます、ジョージ」

 僕も子供の頃から早起きの習慣が身についているけど、ジョージはそれ以上の早起きさんだ。彼は自分がベッドを抜け出しても、大概僕が起き出すまでは静かにしているようで、一体いつ起きているものかよく分からない。猫の目覚めをきちんと把握している人がどれほどいるものか。もし彼と同じベッドで眠っていたとしても、やっぱりこの謎は解けないままなのかもしれない。試してみたいと口にする気はないけれど。

 反応が無いのもいつものことだ。最初は寂しさと戸惑いに似たものを感じていたけれど、今はそんなこともない。聞こえていないわけではないのだろうけど、意地悪で無視しているわけでもない。

 

  ///

 

 僕たちふたりとも、あの山で死んだのだ。傷ついても身体は此処にある。精神だって、かろうじて。でも魂は欠けたまま、あの山に置いてきてしまった。もう戻れないあの銀嶺に、墓のない屍体がふたつあるはずなのだ。ああ、どうしてこんな身でかえって来てしまったのだろう! 奇跡の重なりは今、取り返しのつかないほどグロテスクな模様を織りなしていた。限りなく祈りに似た虚構の檻に、行き先を間違えた魂の残滓が茫然と立ち尽くしている。どうしたらあの山に帰れるものかと、今更狂おしいほどに想ったところでどうしようもない。僕たちはもう、あそこへ至れる足を、自らを押し上げる力を持っていない。決してあの山から下ろしてはならなかったものを下ろしてきてしまった。無遠慮な奇跡の手に引き揚げられ、僕たちは今、此処にいる。

 

 彼を殺す夢を見ることを否定したら嘘になる。あの山では見なかった、でもひどくたちの悪い夢だ。その夢の中で僕は彼の上に跨って、あの白い頸をゆっくりと締め上げている。彼は変わらぬ表情で、苦しそうにもせずただ僕をじっと見つめている。僕にはその貌しか見えない。彼は動かない。でもその頸を握る指に力を込めゆくほど、僕の喉もまたじわりじわりと締まってゆくのを感じる。苦しさに喘ぎ、それでも手は止めない。僕は彼を殺すことに、彼に殺されることに、魂の底から震えるような悦びを感じている。彼と一緒に死ねること、彼の手によって死ぬこと、彼が僕の手により死ぬこと、それがほんとうに嬉しくてたまらないのだ。

 しかし、その夢はいつだって途中で終わる。僕たちが死を迎える前に鶏が鳴いてしまう。現実へ引き戻されてもなお僕はしばし夢うつつ、彼と共に死の淵へ歩みゆく恍惚に浸り、そして正気を取り戻すにつれて冷や水を浴びせられたような思いに襲われる。とんでもないことを、と頭を抱え起き上がり、そしてもっと嫌なものに気がつくのだ。

 彼と出会ってから、僕はすっかりおかしくなってしまった。死ぬまで知らずに済んだはずのおぞましいものは彼によって目覚め、目覚めたが最後死んだ後まで追いかけてくる。

 

  ///

 

 引き攣れた頬を濡らすさざなみに浸りながら、ふと此処にコショウの実でも撒いてやろうかと思った。次の瞬間には馬鹿な思いつきだと苦い笑いがこみ上げる。陽を透かして赤らむ目の熱さに耐えかね顔を覆えばざらつきが痛みをもたらし、一拍おいて湖水が手荒く洗い流していった。たまらずざばりと音立てて起き上がった。白い波引きまとわりつく薄地のなんと鬱陶しいことだろう。陽射しのぬくもりと風の冷たさが一緒になって肌をなでていく。震える肺に夏のにおいが満ちる。僕たちが死んだ山とは真逆の、生がざわめき跋扈する狂騒の夏! 草いきれの中に死臭を隠し、ほてった肌のふちで蠢く季節を見下ろすのは、低く霞む空だった。もうこの手は真昼の星光る藍色の天幕に届かない。空と境界を分かつのはけぶる白でも厳然たる黒でもなく、有機的に唸り波打つ緑だった。ああもう、一瞬でも感傷に浸ったのが馬鹿みたいだ。ひとり嗤いながら、それでもきっと涙が止まらなかった。

 ここにはスカーバラの市へ向かう人なんて訪れない。カンブリックのシャツが枯れ井戸で洗われることも、波打ち際に育つコショウが細く揺れることもない。それでも僕は、明日も二人分のシャツを陽に当て、小さな畑の実りを刈るのだ。