CampⅦ

1920s Mt.Everest Expedition

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 1枚の絵にじっくり取り組めないタイプなので基本的に1~2日で仕上がりということにしてしまうのですが、珍しく時間をかけて描けました。楽しかったー!

 下地になっているのは、自分がTwitterでマロリーが機械音痴だったという話(カメラの扱いを説明してもらったにも拘らず乾板を逆に入れたせいで、ヒマラヤ奥地への一ヶ月間の偵察を丸っと無駄にしたことがある。この記事参照)を呟いていた時のフォロワーさんのツイート。

 

 

  自動翻訳でも十分に分かる。めっちゃ可愛いやんな!!

 

 このツイートが何日も頭の中で幸せにぐるぐるした結果、そこから発展した幻覚が念写まで至ったので許可を頂いて描いた次第です。酪梨さんありがとうございました!

 機械音痴でそそっかしいマロリー&機械の天才で写真の腕もいいサンディという、この点において対照的な二人の微笑ましいわちゃわちゃ最高~! サバンナにおいて他者の脳から生み出されるワンシーンがどれほどの破壊力と昂揚を齎すものか、メジャージャンルにいた頃は知る由もなかったレベルで噛みしめ続けています。いやそれにしても可愛いな…。

 

 ひとつだけ失敗したなと思っているのが、マロリーは機械音痴の節があってそそっかしいだけで、 別に写真の腕自体が悪いというわけでもないだろうという点。実際マロリーが撮影した写真で、今でも関連書籍や記事で引用されているものはあります。だけど今回単純に写真下手くそ選手権みたいになってしまってちょっと申し訳ないかな…電子機器が苦手感と、おっちょこちょいっぷりの延長で失敗していると捉えてもらえると少し気が楽になる感じのアウトプットです。

 あとは折角だから本職である教師としての一枚があっても良かったかな~とか。ここはまた別の機会に。

 

 さて色々と小ネタというか、元ネタありきのオマージュや語呂遊びのようなものを混ぜ込んでいるのでメモ。自己満みたいなものだけどこういうの好きなんだ。

 

  • サンディの服。ジャケットは船上で撮影されたマロリーとのツーショットで着ているスーツをアレンジしたもの。インナーは幼少期の家族写真で着ているものをほんのり意識。前者はちょくちょく見かけるけど後者は多分現状では見るのが難しい。
  • 写真①⑦。酪梨さんのツイートから。
  • 写真②。サンディが1923~24年の冬にミューレンでスキーの練習をしていた時の写真で被っている帽子が可愛いのでちょっと意識。これは 'Fearless on Everest' や 'The Wildest Dream' あたりに掲載されている。「午前中は晴れていたのに段々荒れてくる雪の未踏峰(なんちゃって)」「サンディにとって初めての雪山行」は1924年6月8日のエヴェレストと彼らをスケールダウンしたパロディ。
  • 写真③。遠征中にサンディがお酒をとても喜んでいるのと、シャンパンの出てくる場面が印象深いので。24年遠征においてベースキャンプ到達以降の隊員たちは嗜好品に飢えており、チョコレートの欠片を見れば陰謀を疑って疑心暗鬼になるような節もあったとのことなので、お酒とおつまみを背負って行って山で杯を交わすような登り方も出来たら楽しいだろうな~と。山でへべれけになるまで飲むべきではないと思うが。イギリスだと泥酔の表現として get pissed がよく使われるらしいけど、今回はちょっと大人しめの表現にしておきました。
  • 写真④。オンサイトとは、クライミングにおいて課題となる登攀対象(岩や壁など)について、事前にルート知識を仕入れたり、他人が登るところを見たりせずに、ひとりで、一度で登り切る(途中で落ちたらアウト)ことを指すもので、完登の中でも最もレベルが高いとされるもの。24年のマロリーとサンディの関係は師弟と表現されることが多く、その通りサンディは岩登りや登山についてマロリーから教わっていたことが日記からも読み取れる。外岩は基本的にボルダリングより難しいので、それをオンサイト出来るようになったとあれば師匠も誇らしいだろう。あとイギリス人の「not bad」は「good」の意だと聞きました。
  • 写真⑤。これは完全にお遊び、チベット絡みというだけ。一応サンディの日記でキツネを見たという言及はあるけど、チベットスナギツネかどうかは不明。そして向こうのゲームでは日本と違って笑ったら負けではなく、先に瞬きをしたり目を逸らしたりした方が負けらしいと完成してから知りました。うーん、これは逆にシャイなサンディくんが不利になる勝負なのでは…? まあ笑ったら目を瞑るかもしれませんしね。
  • 写真⑥。5月にベースキャンプで撮影された有名な24年遠征の集合写真のパロディ。これは少なくとも3枚撮影されていて、それとは別に6月に撮影された集合写真もあるけど、そちらはマロリーとサンディの遭難後に撮ったのでなんだかすかすかで空白に心抉られるような思いをする。複数枚撮影・人数の欠けという表現で、2枚の集合写真を重ねてみた。穏便な形でね。
  • 写真⑧。マロリーとサンディは同郷で、当時も地元では我らがチェシャー出身の男たちが世界の最高峰にタッグ組んで登るに違いないという空気があったようだ。新聞の見出しにも踊っていたりする。そしてマロリーはケンブリッジで、サンディはオックスフォードでボート部に所属し活躍していた。かなり水に馴染みあるバックグラウンドなのに接点が山だったから、偶には海の絵でも。まあ遠征中でも一緒に川で水浴びしています、一緒には写っていないだけで。
  • 写真⑨。マロリーの家族。詰められていないところなのでアウトプットに躊躇があるから1枚だけにしたけど、現パロなら絶対他の何よりも家族写真を撮るよな~と思っていました。カメラのこと教わっていい写真を撮りまくるパパになりそうだ。これは24年の感覚で描いているので、長女クレアが9歳、次女ベリッジが7歳、長男ジョンが4歳。心が痛くなってきた。
  • 写真⑩。そのまま、ヒマラヤに咲く青いケシ。日本でも高山植物園などで見られるところがあります。ざっくり 5ft 超と書いたけど実際は 1.6m ほどらしい。日本だと全然そこまで大きくならない。
  • 写真⑪。1.ヒースの丘はイギリスの代表的風景のひとつ。2.小説『嵐が丘』はヒースの丘が関わる。24年5月9日にマロリーたちがテントに集まって『人間の精神』に収録されている詩を読み合った中で、『嵐が丘』作者のエミリー・ブロンテの詩についての言及があったのでその掛け。3.マロリーとサンディは登頂を果たしていたとしてもかなり遅い時刻だったはずで、遭難事故が発生したのは日没後だったと見られている。陽がどんどん傾き沈んでいくのは怖かっただろう。怯えなくていい夕景が描きたかった。4.マロリーの綽名に「山のガラハッド」というものがある。またアーサー王物語の編者として有名なのがトマス・マロリー(両者に血縁はない)。この2点からのアーサー王物語との掛け。そして死せる英雄の休む場所としてのアヴァロンのイメージ。

 

 仕込みは多分これで全部かな…? 小ネタを考えるのも、どうしても悲劇のイメージが強い彼らの呑気な一幕を描けるのもすごく楽しかった!

 あと今回は海外の方のツイートが下地になっている以上、日本語で書いた絵の内容はせめて英語でも出すべきだと思って…自動翻訳も使いながら生成したので日本語話者はもう読まずにするっと流してほしいんだけど…ただ日記を訳す時もそうだけど、イギリス英語を意識して訳を取ったり、逆に読み手として気がついたりする瞬間は楽しい。stabilisation とか。言い訳に使うのはよくないけど、文法ミスなどのうち可愛いものはモデル人物の文法や綴りミスが多かった再現くらいで読める範囲だったらいいな…ということもちょっとだけ思いつつヒヤヒヤ。最低限内容だけでも伝わってほしい。

 自分でも気に入った1枚になったと思う。マロリーも最初の頃はよく語られるイメージが強すぎてすまし顔しか描けなかったけど、今回やっと少し短気そうな雰囲気出せてよかった。

 

 最初は99%ネタのつもりで描き始めたけど、いざ筆を動かし始めたらちょっと胸が詰まるようなものもあった。穏やかでありふれた日常を共有することはなく夭逝し、その結末ありきの物語が美しい2人だけど、偶にはこういうただ日々を生きているのを感じるようなフィクションもいいね。

 

 満足したので明日からは悲劇へのカウントダウンが残り1週間といったところの日記へ戻ります。もう6月が来ちゃうよ…。

 

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 2019年5月、六甲高山植物園にて撮影。交通費を浮かせようと夜明け前に出発して家から30km弱六甲を縦走して見に行ったので、到着時のへろへろ具合がなんか雰囲気あって良かったかもしれないね。ちょっと見頃を過ぎてしまって萎れ気味の花も多かったけど素晴らしく綺麗でした。これが目線の高さで咲いているのは凄い光景でしょうね。

 

 追記:入れようと思って忘れていたおまけ

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 ゴーグルの下、雪焼け可愛いな~というやつでした。24年みたいな地獄の火傷じゃなくて可愛い程度の雪焼け。